2017年04月18日

相性のよい人とは 具体的に

 相性のよい人とは

 私の友人をもとに、相性とは何かを考える。

 まずは、近所にいた女性の幼馴染。気が強くて、男にも果敢に立ち向かい(私はあまりみてないが)?、悪いことは基本的にしない。あっさりした性格。私とどこが似ているのかわからないのだが、気は合った。信じ合える人である。元気であることが一番ということが私と同じだ。

 次に小学生の男の親友。彼は活発で、活動的だ。何かと遊んでいる。いろんなことをやっている。頭も悪くはなかった。親友である。サッカーなど好きな遊びが似ていた。ちょうど社交的な度合い、遊び好きなところが同じ程度だった。あと、大阪は天王寺が最も強い人がいてなど、枚方に暮らす者としての社会観が似ていた。あまり政治などは興味なくて。

 高校では、小学校の同級生から、お前に似たのがいると紹介された別の高校の男子が友達。囲碁をしていたし、温厚で、優しくもあり、似ていたかもしれない。今は、たまに会っても、あまり話すことがない。

 大学では、へんな兄さんをみつけたのだ。私よりも顔はよく、いい笑顔だ。なかなかタフなので、いろいろ出かけた。が、残念ながら、何を話したのか覚えてない。タイプは違うのである。私は学者肌で、彼は事業家タイプなのだ。彼は私の扱いに長けていた。私も彼のやりそうなことはだいたいわかった。わかるというのは大切である。わからない(私がこりゃだめだな、と思うような)ことばかりするのとは、つきあう気がしない。

 大学では、会わなかったが、私と発想が似た女性はみかけた。哲学が私に近い。理性的で、正しくあり、なおかつ強いこと。弱さなど気にも留めない。彼女は遠くにいた。向こうは私が同類と知っていたが、相手をする気はなかったようだ。が、年をとると、いつまでもそんな片意地張っていたら、友人ができないと気付きはじめたようで、私に関心があるような噂をきく。

 最後、これから出会う女性。私の擬態に最近まで気づかなくて、私を遠ざけていたが、それでは幸福を逃すと決意したようで、私に寄付をくれることから私に近づく。彼女は私にとって生まれてから、ずっと好きなタイプで、ショートカットが似合う利発でスポーティーな女性のはずである。主婦歴が長く、その時、本来の性格はかなり潜めたかもしれない。が、通じるところがある。

 彼女の友人と親戚は、私と彼女はよく似ている、という。理に聡く、自分をもっていて、はちゃめちゃなのだ。好き勝手にしていても、うまく物事が運ぶというところが。生き方のスタイルとして、上質なところも。

 性格の一致、気が合うことが、相性のよさである。相性がよい者を、親友と呼ぶ。これは、ジャンルごとにたくさんいる。それぞれに共通点は異なる。その話はまたあとで。
posted by たすく at 20:45| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月17日

相性とは

 相性とは
 相性は、男女、親子、友人、師と弟子など人間関係の好悪をさすものだ。

 相性がよいと親しく、信頼して、親密になる。相性が悪いと、相手に反発する、嫌う、不満を相手にもち、信頼しない。

 相性がよい人は、共通の価値観・信条をもっている。例えば、同じ趣味どうしは仲が良い。同じ政治スタイルでも、気が合う。相性とは、意見の一致が大きな原因だ。相反する価値観が話すと、反発しあい、お互いに疑いあい、信用しない。

 価値観が違う場合でも、相性が必ずしも悪いとは限らない。日本人と外人は、考え方が違うが、相性が悪いわけではなく、気が合う者たちもいる。

 ある信条(目標)について、一致する場合
 人間は趣味に生きるのがよいと思う人達は、こういう文化志向の人達は相性がよい。趣味が、絵画や彫刻など違いは、そう大きくはない。絵画好きと音楽好きが決定的な人間関係の亀裂になることは、あまりない。

 男女は、生き方が違うが、相性がよいと認め合う。細かい価値観が違う時、それは最初に問題にならない。が、話すうちに「その違い」がしだいに重大になる。すると、両者のつながりはなくなる。

 相性が悪い時、相手の行為が、嫌がらせと感じることが多い。自分を否定するとも感じる。相性の悪い者たちは、自分の価値観と反対だ。それは直感的に感じる。普段は、日本人の間では、明確に価値観の違いが現れない。物をはっきり言う人々の間では、相性の悪さは、言葉に両者の違いが明らかになりやすいのだろうが。つまり、相性が悪い相手は、自分の中にある奥深い価値観を否定する。

 心の許容度と相性は関係する。狭い心の人ほど、合わせられる人が少なく、相性がよい人が減る。多様性を認める人は、つきあえる範囲が広がり、多少の価値観の違いに反発することはなくなり、相性の悪い人は減る。アメリカでは、こういう寛容性が一部に求められる。

 だいたい相性の好悪は、生き方の違いから生じる。日本で相性が悪い相手でも、海外では相性が悪くならないこともある。例外的なことだ。それは海外では、生き方の優先順位が異なり、それぞれの立場が変わるからだ。

 以上が基本的な相性に関する話だ。

 相性のよい人とは、生き方の基本的な価値観が似ている人である。相性の悪い人は、それが多くの点で、対立する信条になっている人である。そして、両者の価値観が決定的に、わかりあえないとされる場合は、ずっと反発しあう。お互い融和することができる、和解できると思われている事柄なら、わかりあうことができる。もちろん、相手を認めるという単純なことだ。その時の関係は、対等ではなく、より正しい信条のほうが上で、より悪い価値観は下に位置する。両者はそんな人間関係に最終的になる。

 この相性というものが、恋愛にどう作用するかは、またの話。その前に、相性を決める「当人の信条」とは何か? それを明らかにしなくてはならないだろう。
posted by たすく at 18:12| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月15日

学生結婚を成功させるこつ

学生結婚を成功させるこつ

 別れる夫婦は外から見たら、一目瞭然。どうみても合わない。相性が悪い。 親や人間関係の機微に敏感な人からみると、なぜあの2人が夫婦になるのかがわからない。そんな2人は結婚しても、すぐに別れる。

 本人達はいたって真剣、愛し合っている、2人でいることが幸福と思い込む。いったいご当人達は何を間違えたのだろうか?

 失敗する学生結婚と長もちする結婚との差
 学生の時、べったりして、互いに馴れ馴れしく、しかもおっとりつきあっていた恋人同志が私のまわりで2組結婚した。その2組とも、部室に来ては2人だけで楽しそうにしていた。

 私は人を見る目だけはある。相性はすぐに判別できる。この才能は当時からあった。

 この2人はお互いたいして好きでもないのに、他の異性と積極的に交際もしないで、なぜ時間の浪費をしているのだろう、と思っていた。その相手は最善でもなく、とても相性のよい相手ではない。

 なぜ2人が別タイプか。積極的で情に厚い女性。男性はかなり鈍く、淡白。男性が女性の心根の強さを受け取れるほど鍛えられてはいなかった。2人の間にあまり通じるものはなく、薄い愛しかなかった。性格の能力のギャップ、気質の差が歴然としていた。

 結婚は意外だった。その2組とも相性はよくなかったのだ。人生では、相性がよくなくても結婚できる、ということをこれで知った。単に、同じ家に住むという感覚が似ていたら、結婚できるようだと理解した。

 その1組は不幸な別れ方をした。片方はまだやや執着しているが、いつまでもつかはわからない。

 離婚はもう1組もある。その2人にの間に全く相性なんてものはなかった。単に、お互いが好いている、という小学生並の幼稚な恋愛観で結婚した。女性は結婚願望が強く、学生で相手を見つけて、卒業する時に結婚するというシンデレラストーリーにただただ憧れていた。そのプランを実現した者が女性の勝者。優等生の思い込みだ。それに尽きる。その夢が成就することに舞い上がってしまい、相手を間違えたことは本人は理解していたようだが、勢いで突き進んでしまった。

 この夫婦に愛なんてものははじめからないから、10年たたないうちに男が女を作って逃げた。女は男にこだわったようだが、好きでもないのに、やはり無理だったと悟るのは時間の問題だった。私が見たところ、両者は相性が何もないのだ。お互いが好きという感じがない。ただなんとなく合う。同じ空間を共有しそうだ。そういう感覚しかなかったものと思われる。妥当な結末だった。

 大学の学生結婚は、どうやら相性が悪い相手を選ぶ傾向があるようだ。大学で、他大学と交流を繰り返し、その中で最適者をみつけるなら、こんな失敗はしない。同じ倶楽部で、わずかな人数の中から気の合う相手を選ぶ。すると、こういう間違いを犯す。

 大学の倶楽部内結婚は、趣味の一致しか共通点がない。狭い範囲から相手を選んでいるから、相性のよい相手でないことが多い。もし、相手がそういうケースに該当する場合は、長持ちしない可能性が高い結婚だと覚悟してから、どうぞ。

 例外的に倶楽部でみつけた相手が、よいケースもある。人生の不思議というものはあるもので、私は、倶楽部に、私の全人生で出会う中で、相性の良さが5本の指に入る女性がいた。彼女は興味深いことに、私の幼馴染より相性がよいらしいのだ。私の学生の頃では、小中高で出会った中でも1、2位の相性だった。稀にそういう抜群に意気があうのもいる。

 違うか。その女性がいるから、私はその倶楽部に入ったのか。そうだった。間違い。大学の倶楽部に偶然集まった中から、結婚相手を選んではいけない。これが正解だ。

 同じ大学には、案外、相性がよいのがいる。これは人生のいたずらである。そういうのとつきあうと、うまくゆくことが多い。それは、大学の同学年は2000-6000人はいるが、異性はその半分だが、かなり大勢から自分に合うのを1人選ぶ。そこが大きい。大学では、構内全体を探す。それが長持ちする結婚の秘訣である。

 小学校はせいぜい同学年は400人、中学は300-400人、高校は400-600人。それよりも、大学は人口が多い分だけ、より相性がよい相手を選びやすいのだ。企業の中にみつける、さらに社会人の中から探す、と母集団をより大きくするほどに、より相性がよい相手を選べることは数学的に当然だ。

 大学では倶楽部の中に探さずに、同じ大学にいる全体を見渡す。それが、よい相手をみつけるこつである。
posted by たすく at 22:58| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする