2018年02月14日

霊性を追求することの善悪と評価

 霊性を追求することの善悪と評価

 立派な人間になりたくて、偉人や聖人を倣ったがまだまだ足りない。ついには仏教な聖典をあさり、そんな宗教の偉人に理想を見出す人は多い。こんな霊性マニアは、あらゆる面で宗教の中に理想があると考えがちだ。果たして、本当だろうか?

 宗教やスピリチュアル、精神世界には、科学的なものはほとんどない。ありきたりの精神論や、よくわからない宇宙論、古来から信じられる体系などがある。それは、本当に、世俗的なもので学問よりも優れているのか? それを正確に分析しようと思う。

 宗教かぶれは、何かあると「霊性は素晴らしい、最高だ。」と魂や霊、神を礼賛するが、本当に現在手に入るそれらの書物や教団に学ぶことで、この社会で最高の学習ができるのだろうか?

 私には、彼ら「霊性主義者」は頭が弱いようにみえて仕方ない。宗教が科学と学問よりも優越しない。だから、学問・科学を学んだほうが有意義なことが、多々ある。こんな、わかりきったことも彼らはみえてないからだ。この辺りを詳しく説明したい。

1, 精神論
 霊性を追求する人の多くは、理想の精神を求めている。確かに、最高の人格を霊性の中に見出すのは、正しいだろう。

 神以上の精神規範はない。神は聖典(聖書と旧約、コーラン)などから類推できる。また古今東西の偉人は、イエス、モーゼ、ブッダとくるが、宗教者だ。日本では空海に最澄だ。神や霊を研究する人ほど、精神は高くなれるに違いない。

 非宗教の偉人といえば、ソクラテス、孔子、諸葛孔明、アレキサンダー大王、アリストテレス。ヘーゲルに、レオナルド・ダ・ビンチ。思想家や芸術家、政治家だが、宗教の偉人には劣る。

 精神論もまだ宗教のよりも明らかに未熟だ。科学の心理学、儒教、武士道。宗教の精神論は、より全体的な人間性を養うのに対して、これらは部分的であり、貧弱である。精神を求める点においては、現在は科学は人間の精神の全体像すら解明してないに等しく、まだ宗教のほうがよいだろう。

2, 社会論
 宗教のユートピアや原始の宗教共同体などに理想を見出す人はいる。アーミッシュは科学機器を使わない近代的な生活をする。仏国土を目指す仏教徒もいる。

 宗教の理想社会は、道徳的な人物が統治して、道徳的な民がいると達成される、という構成員の資質のみの説明が多い。制度の説明がなく、それは社会論としては幼稚な部類となる。19世紀以前の社会論にありがちなスタイルだ。どんな法律があり、どんな配給制度が完備して、どんな流通機構があればよいか。市場はどうするか。など語られない。

 よって、このユートピアは中身がなく、実現できない。賢人ばかりを育成して、寄せ集めて社会は作ることができる。しかし、そのままではユートピアにならない。統治の制度、配給、自由、権限の分配など何も社会について規定されてないからだ。社会の骨組みがまったくないから、社会論としてはほぼ無価値だ。それでは誰もどうやってユートピアを実現すればよいのかわからない。

 仏国土は、アショカ王もつくろうとしたほど古代的だ。構成員の質では徳高き如来のような人格者と、権力に飢えた共産主義者という天地ほどの差があるが、制度についてはなきに等しく、原始共産制並みなのだ。

 そんな宗教の社会論はクズ同然だ。そんなものに憧れるよりも経営学や社会学などの社会論の示す理想の社会を目指すほうがはるかに優れている。国家論、法学、経済学も同じ。それらを読むと、どんな国造りをすればよいかがわかる。もし本当にユートピアを作りたいなら、学問の中の社会論を学ぶべきである。はるかによき社会を作れるだろう。

 宗教の中にある安っぽいユートピアにうかれるのは、かなり頭が弱いといえる。経営学や社会学、国家論を学ぶべきである。

3, 科学技術
 考えなくてもわかることだが、科学技術は、科学の専門書を読み、大学の理学部などで習得すべきだ。宗教団体に入って、神の秘密を学んで、科学の知識を増やすことはできない。霊性に知恵を求めるのは、たいていは無駄な努力となる。科学の本に、人がほしがる知恵はたくさんある。宗教を極めると、叡智が身につくというのは、考えを改めたほうがよい。科学書を読むと、そういうものはすぐに手に入る。

4, 人間性を高める
 宗教に専念すると、人間性が高まると信じて、仏教修行をする人、神に愛されるべく修道する人はあとをたたない。確かに、偉大な宗教家は過去に多い。だが、科学時代にあっても、宗教の修行をすると、本当に偉大な人間になれるだろうか?

 これは最初の設問と同じようで、少し違うのだ。偉大な人間は確かに、宗教家だった。神などもっとも高い精神は、宗教の中にしかない。

 だが、人間性を高めるには、宗教の修行法だけが優れたものではない。徳を積むのと、有徳の士とはまったく異なるようだ。悪人でも徳をたまに積むことができるが、悪人は徳をもってはいない。それら徳を極めるのは、仏教に多い考え方だ。神に選ばれたり、自ら新しい思想を書き表して、偉大な精神家となるのは、ごくほんの一部。たいていの人はなれない。

 一般の人はこう比較する。宗教界に入り、僧侶、牧師になるのと、世俗で活躍して、学者や医者、政治家とどちらが人間として価値があるか?

 当然、現在の社会では、一介の牧師や僧侶、さらには単なる信徒は、大学者や社会的に活躍する人たちよりも人格でまず劣る。各界に名が轟き尊敬されるような僧侶はごくわずかだ。彼らに劣らず、大学者や思想家、政治家などは尊敬される。そういう世俗にも、立派な人間は多々いる。

 現在、僧侶や信徒だけが人間として立派、精神が極めて優れているという時代ではない。日本においては、僧侶が卓越していることのほうが、少ないといっても過言ではない。人格を高めるために、宗教界に入るのは、さほど正しいものではない。専門分野で活躍して、自らを鍛えることもできる。

 海外でも、牧師などは尊敬されるが、人格的に優れているのは、そう多くはない。ただ罪を犯さない点で一般人よりもさえているくらいだ。人格がよくても、有能とはほど遠いのが多々いる。

 まとめ
 霊性は素晴らしいと思う人は結構いる。が、実際、霊や魂が優れているのは、精神のみ。過去の偉人や神くらいだ。精神世界の社会論、科学技術はガラクタばかりだ。実用的な知恵は科学に求めるに限る。また霊性の世界で修行するのと、世俗で己を高めるのと、今では変わらない。逆に、一般社会で活躍するほうが人は大きくなれる。

 霊性の世界には、素晴らしい精神しかない。それが真実であった。他は、世俗に学べ。

 今回、天国は分析してないので、今後加える。

posted by たすく at 22:07| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月13日

神がなぜ24-27歳の発達心理上のテーマをもつのか?

 (初期星の)神がなぜ24歳の発達心理上のテーマをもつのか?

 冗談と思ってはいけない。人はだいたい18歳の精神テーマまで自覚できたら、8次元の精神になれる。21歳の発達心理テーマをこなしたら、9次元の精神になる。理論上、24歳までの発達心理テーマをすべてこなすと、10次元の精神だ。

 人間は急速に次元をあげる。素晴らしい人達は生まれて30年で9、10次元になる。が、霊はそんなに早く、次元をあげない。3.5億年生きても、7,8,9次元がほとんどだ。いや、10次元になるほうが極めて少数だ。霊は早くても、1億年で0.5-1次元あげる。そんなゆっくりとしたスピードだ。特別の者を除いて。

 霊は1-2億年かけて、人が3年の発達心理テーマとして経験することを精密になしとげる。霊は、人のようにあまり自分のテーマを自覚しないで、段階を急速をあげるようなことはしない。一つずつのテーマをしっかり、確実に学び、ステップアップする。そのため、遅い。

 そして、9次元のテーマをすべてやりとげ、10次元(24歳の発達心理のテーマ)にあがる。そして、神としての役目を果たす。

 24歳の発達心理のテーマが簡単だとは思ってはいけない。すべて積み上げてそれをクリアしなくてはならないのだ。そして、神経も新たに活性化しなくてはならない。人で過去に、これができた人は記録上にはいない。生きたまま10次元になった人は皆無。それほど難しいことなのだ。

 24歳までの発達心理を完璧にこなすのは、並大抵のことではない。そこは覚えてほしい。あらゆる技能を身に着けても、多くの霊は精神次元の向上には着手しないのだ。そのため、遅いらしい。これは、霊界の慣習であって、その理由をすべて私が、現在知ってるわけではない。

 10次元以降は、どんなに上の段階をこなしても10次元である。一つはっきりとわかることがある。10億年文明の者達は、言葉巧みなのだ。言語をテーマにするのは、27-29歳だ。

  24歳でないのは、24-29歳くらいの発達心理だろう。大きく変わらないようにみえる。が、霊格はこの差が大きいのだ。
posted by たすく at 21:47| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

宇宙文明論 -- 惑星の色とは神のオーラの色

 惑星(文明)の色について、簡単に述べよう。

 どの星の人たちも、それぞれうっすら特徴あるオーラの色をもっている。それは、星を統治する神のオーラの色だ。黄色い犬の星は、黄色。トランプ星人は白。アスカ(マヤ)人は赤紫。星の色をみると、その文明の神の次元(階層)がわかる。

 星の神は10次元の霊だ。太陽系ごとに神がいる。彼らの色は、彼らの達成した階層(次元)ごとに違う。その色なのだ。年数の低い霊から、白から黒(黒黄、黒緑、黒紫)、青、紫、黄色、黄色赤、薄い透明な黄色、濃い黄色、黒、白、黒、黄色、橙色、緑、紺色、紫と紺色、白…と続く。

 だいたい白は、1億年くらいの文明までだ。その期間の文明は白のバリエーションである。黒になると、2-3.0億の文明。3.3-3.5億年からは太陽神の黄色となる。4.1億年ほどの文明は黄色に赤みがかかる。カエルとか。そのあと、5.0億年までは黄色がしだいに濃くなる。

 5.0-5.9億年は黒い色となる。星猫やマイケル・ジャクソンの黒もそうだし、たくさんいる。6.0-6.9億年は白くなる。白い肌がきれいな人たちだ。馬、狐、狼などはこの手の人たちだ。AKBにたくさんいる。

7.0-10.0億年は、黄色の犬、橙色、黒、緑、紺色などたくさん色がある。この手の人たちは、芸術的である。山田かまちとか。

 さて、これは何の色か? 瞑想の段階なのだ。ある瞑想の段階の者が発する色なのだ。10次元の最初の白は、24歳頃の発達心理の色だ。

 過去、私は宇宙の中心太陽にどこまで近づいたかを示す色と考えた。が、修正する。それはどこかおかしい。なぜか。宇宙の霊には、「眼」と呼ばれる者達がいる。そんな段階の星は、30-50億年の古い文明にある。これは、中心太陽。そこの恒星内の鉱物層として理解しにくい。

 ちょうど今、私は45-48歳で、空間認知やカメラを使うのに凝る。これは眼球をテーマとしている。発達心理のテーマには、「眼」はあるからだ。眼の段階の霊は、単に、眼の次元をテーマにもつ霊といえる。

 つまり、惑星のオーラの色は、発達心理上の段階に対応する。

 10次元者のオーラはすべて、薄い白だ。これは、24歳の発達心理段階で止まった人特有の色なのである。そして、その神の色をその文明の人たちは、うっすら宿す。これが真実である。



posted by たすく at 21:25| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする