2017年03月17日

守護霊をつけるのは、ほとんど嘘 その見分け方

守護霊をつける

霊能者が人間の分際で、守護霊を人につけるという。本当にできるのだろうか?

答え
 巷の霊能者にはできない。彼らの9割9分は、守護霊と交信できない。彼らは霊視すると、霊がみえる。それは視野にうつる『本物そっくりの霊の動く絵』だ。

宇宙人は、霊能者が霊視すると、その視野に合成映像をうつせる。ほぼすべて宇宙人はコンピューター映像の『霊』を霊能者にみせる。だから、ニセモノなのだ。霊能者は、そんなのにひっかかっている。

守護霊はニセモノだ。で、霊能者が、守護霊をつけて、と依頼する相手はそんな人を騙す悪い宇宙人だ。そんな宇宙犯罪者のような彼らは、天国に頼んで、守護霊をつけることはできない。

実際には、どういうことになるか?
霊能者は、悪い宇宙人に、守護霊をつけてもらう。すると、霊能者は依頼者の守護霊として交信できるニセ霊が一体増える。そのニセ霊は、守護霊のふりをする。それを本物と思い込んだ霊能者は、新しいのが増えたと喜ぶ。霊能者が見える映像や声、全てが虚構である。

私は他人に新しく守護霊はつけられる
できることはできる。私は、様々な守護を自分につけている。例えば、サイクリングしながら、物事をうまく考える才能がほしいと願う。天国に頼むと、いちおうつけてもらえる。それ依頼、私はサイク中に、よく思索できる。私はその新しくついた指導霊と交信はしない。が、実際に、効果があったことで、ついたことを確認する。
運動が機敏になる才能がほしいと頼む。すると、やや運動神経があがる気にはなる。で、何年後かにサッカー選手を見たら、私と同じような雰囲気で動きが素早い。彼と同じ指導霊だとわかる。
そんなわけで指導霊は、本当に新たにつく。私は他人にもつけられる。誰かはすぐにはわからないが、適切な人物(霊)が指導をするようになるようだ。

私は、天国と縁がある。だから、できる。なぜ、そうなっているかはよくわからない。他に同じことをする人はいない。専門を指定すると、指導霊はつく。

だが、一般に『守護霊をつける』というのは信じないほうがよい。霊能者が新しい指導霊と会話して、『あなたは強化されました。大丈夫といってくれる。』が、何も変わらない。なにしろ新規の守護霊が加わっていないのだから。

実質、お金とられて、霊能者が交信できる『ニセ霊』が増えるのみ。そして、彼らから嘘偽りを聞かされる。霊能者が新しい守護霊と会話したから、ついたと思うのは間違いなのだ。
本当に指導霊がついたなら、新しい才能が身につくはずだ。その有無で、霊能者が本物かを判断しよう。

天国と交信できる霊能者は、私以外にいないのでは? 
posted by たすく at 20:46| Comment(0) | 霊能者 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月10日

瞑想は、効率が悪い

瞑想は、効率が悪い

賢くなろうとして、智恵を求めて、瞑想する。そんな目的で瞑想するのはおかしい。

学生はしないと思うが、テレビを見ながら勉強すると、学習効率が落ちる。2-4割は頭に入らなくなる。テレビを用いた学習は、通常の5割ほどしか身につかない。

では、ラジオは? 私はラジオで勉強したことはないが、3-4割くらいではないだろうか。ラジオで英語はとてもじゃないが、勉強できない。まったく身につかないからだ。

では、瞑想では? 
 静かに勉強できる? それはそうだが、目をつぶって、ノートもなく、教科書もない。それで何を勉強するのだろうか? 教材を何も与えず、社会から隔絶した場所、例えば、監獄にぶちこむ。すると、その人は、ムショでひたすら犯行を反省するだろう。やがて、彼は何か悟るだろう。

 とはいえ、わずかな知識しか身につかない。

何かテーマをもって、それを考えたい人が、時々、部屋にこもって、1人、あれこれ考えを巡らせる。こういう学習テーマが決まっている瞑想は、どの程度の効率か?

ふつうに勉強するのを100とする。彼は目をつぶって思索するから、ノートと鉛筆も持たない。だから、何か新しいこと思いついては、それを記録しないから、忘れる。それを繰り返し、同じようなことを何度も考える。あまり考えが進まない。

2次方程式を暗算で解くのは、至難である。慣れた人でも、三次方程式は暗算で解けないだろう。囲碁を、碁盤と石なしで、打つようなものだ。将棋を盤と駒なしで対局する。これは、とても効率が悪い。3-4割だろう。

瞑想中に、メモするのはいい案である。が、メモがあっても、効率はふつうの学習並みにならない。教材がなく、すべて自分で考えるから、1人で参考書と教科書なしに、数学を学ぶようなものだ。その効果は、本人の興味を満たす程度である。効率はすこぶる悪い。15-30くらいだろう。

さて、私は透視しながら、いろいろ考える。瞑想すると、頭に物事がクリアに浮かんできて、それをもとに様々なことを考えられる、と過大視する人はいる。が、透視して、何かを見ながら考えても、考えは進展しない。私は学校などで習うお金がないから、自由連想するしかないのだ。

 PCの画面にくっきり見えるなら、そっちのほうがよい。もっと楽に、思考が進む。本があるとなおさらよい。瞑想は、単に、よい本がないからやっている。それがあれば、瞑想じみたことはしないのだ。

高僧が想像力豊かで、様々に思い描くことができて、深い思索ができる。そう考える人は、期待しすぎだ。学校で習うほうが3倍はよい。

瞑想は、通常の学習の2-3割未満の効率である。時間をムダにしたくない人は、専門学校や教室で習うことを勧める。
posted by たすく at 21:58| Comment(0) | 精神次元 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月06日

精神次元をあげる目的は?

精神次元をあげる目的は?

 世界中のあちらこちらで、精神向上に励む。仏教徒は仏陀に近づこうとして、キリスト教徒はイエスの精神になろうとして。ヒンズー教徒は高みに入るために。

 私は比叡山の周辺、京都市近郊の枚方に住んでいた。街角に道徳の標語が掲げられ、この地でも叡山の阿闍梨が尊敬された。そんな風土で育ったから、心を見抜く才ある私が、人格を極めようとしたのは自然なことだった。

 多くの求道者の目的はこんなものだ。仏教では、心迷いがとれ、深い洞察をさらさら語り、人格者になり、徳に満ち、大勢に尊敬され、慕われることがかっこよく、それを目指す。瞑想と修業で人格者になれる。が、自身の哲学を根本から変えないと、精神は表面がきれいになるのみで、心のシステムそのものはクリアにならない。

 キリスト教では、修道会に入り、神に愛される人格になり、何一つ罪を冒さないで、天国に入ることが素晴らしく、それを目指す。日本人は、愛を行うことがキリスト教徒の努めと思う。ここでは、キリスト教徒独特の戒律が厳しくあり、精神の向上は望むべくもない。神に愛されることを追求する。

 精神次元をあげると、あらゆる智恵を習得するわけではない
 修業して、悟ると叡智を手に入れる、という迷信がある。神につながっても、そうはならない。宗教家は、現代の科学者ほどに知識はない。彼らはレオナルド・ダ・ビンチのような万能でもない。仏教の最も極めたラマ僧が、あらゆる知識に秀でるわけではない。囲碁、剣道、諸学に、精神家が必ずしも通じているわけではない。

 精神修業とは、精神論を習得することだ。精神が高い人ほど、精神論に強くなる。感情、性善説、性悪説、理性、社会性など、高い者はすらすら答えられる。これらに答えをもたない者は、精神的には挫折しており、そう優れてはいない。高い次元の精神は、唯一、この精神理論が鍛えられる。心理学では、彼らはさえたことをいえる。

 精神が高いと天国で高い世界に住む
 天国には10次元あり、心が合理化された人ほど高い世界にゆける。心醜いと、地獄に長く閉じ込められ、天国に上がっても下にゆく。天国の神々に近いところにゆくことを夢見る修業者は、よいだろう。徳を備えて、神々に愛されるのは、悪くはない。人に感化することもできる。

 精神が高いと即身成仏できる?
 仏教では、死んですぐに仏になる、という信仰がある。生きたまま仏になるのは、嘘である。

 ある日、覚者が決意して、次元上昇して、神になった、というのはありえない。次元の転換は、純粋に物理学現象だ。円盤をプラズマで覆い消すように、特殊な電磁波をかけると、その物体の次元は上げ下げできる。人間には、そんな電磁波を調整する能力もないし、次元移動するための電磁波を放出する技能もない。そんな無知な人間を騙す話である。

 即身成仏は死期が近い坊さんが、地中に入り、水や食べ物をあまりとらずに、修業しながら亡くなることだ。そのまま、ミイラになる。生きたまま仏になってしまった。

 もう一つチベットに伝わるもので、死んだ時に、地獄に落とさずに、天国に霊を飛ばすという秘術がある。死後すぐに成仏するから、即身成仏に似る。私はこれも即身成仏の由来の一つと考える。
 ラマ僧は、心停止の10-15分後に脳が死ぬときに行く先が決まると信じる。天国に自力で上ることができない人には、ラマ僧が手助けして、霊(幽体)を天国に飛ばす。彼らは他人の幽体を飛ばす技をもつ。だが、彼らは天国の位置を正しく知らないし、幽体を飛ばしても、霊はどこにもいかない。
 これはチベットの間違いの一つである。人の幽体は脳死で消える。天国にも地獄にもゆくことはない。本当は、死んだら、地上の霊となる。せっかく、幽体を天国に飛ばしても、地獄にも落ちないで、体の横に本人の霊がいる。幽体をどこかに飛ばすのは意味がない。
 霊能力のあるラマ僧は、霊が死後に体のそばにいると視える。だが、こちらの真実をラマ達は重視しない。成仏したはずの高僧の霊が寺内にひっそりいて、よくみかけることは、修業したラマ僧はよく知るのだが。

 まとめ
 精神次元をあげると、心が磨かれ、素晴らしくなり、精神論に強くなり、天国の高い階層にあがる。が、知識や技能は身につかない。即身成仏もしない。過大な期待は禁物だ。
posted by たすく at 21:25| Comment(0) | 精神次元 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする