2017年02月21日

まもなく地球は人間でいうと8次元の意識から、9次元にあがる

 まもなく、地球は人間でいうと8次元の意識から、9次元にあがる

 人間は精神が成長しつづけると、15歳で7次元、18歳で8次元、21歳で9次元にあがる。だいたい3年で次元を1つあげる。

 15歳の課題は『理性』で、知恵を求める。合理的なものを好む。それは人類の思想では、デカルトは自己が『数理的な存在』とした。15-17歳の人物は、純粋理性のカントや理性哲学のヘーゲルと似た関心をもつ。つまり、青年期の発達心理は、人類の思想と対応する。

 18歳の課題は『自由』で、関心は社会に向く。大学生になると、自由を求め、社会運動に一時的にのめり込む。全共闘は、そういう社会的な自由に目覚めた者達だったが、所詮、マル経済を信じるなど、理論が幼稚だった。社会を論じる学問は社会学にしかなく、経営学は人間のあり方をよく解明している。そういうものに関心が移るのが、18-20歳である。この期間の前半は、社会論を学び、後半は社会活動を実践する。
 ヘーゲルが終わると、人類は『自由』を論じ、理想社会を夢見て、自由な社会を実現させようと努力した。18-20歳の発達心理は、19世紀から20-21世紀の社会イデオロギーの時代と対応する。

 精神が8次元の人の関心は、社会や自由なのだ。過去や未来を見ることが大事なのではない。社会とは何か、社会と個人の関係、社会の中での人間のあり方。それを合理的に理解すること。それが彼らの課題である。

 ここまで、15歳が3年、18歳が3年だった。ということは、次の段階に上がるのは、21歳とわかる。21歳で何に関心をもつか? 『空間』である。21歳からは、建築や都市計画に関心をもつ。人類はまだその段階には至っていないが、地球環境への関心は高まっている。社会制度をよくすることは、そろそろ限界に近づく。社会を改良する情熱は、20世紀半ばほど強くない。そろそろ社会イデオロギーの時代は終焉する。

 その時、社会理論の集大成みたいなものが現れて、社会思想を統合する。それでイデオロギー闘争は終止符が打たれる。すると、人々は新しい関心へと移る。

 現在、社会思想の末期である。8次元が最終段階に近づいている。理性を宿した上で、社会に関心をもつ人は、精神が8次元だ。人類は科学という合理主義を思想の基盤におく。そして、社会論を発達させた。人類は、8次元の精神だった。

 そして、2017年、それを終えつつある。つまり、もうすぐ人類は、9次元へと突入する。

 人類はもうすぐ、おそらく2032年(なぜこの年かは、いずれ説明する)に9次元に入る。これが正解である。

 人類が4次元の意識になるとか、5次元の意識になる、というアセンション説は根拠のない嘘っぱちだ。これまでの20世紀、人類は8次元の意識だった。それが、21世紀を少しすぎると9次元になる。それが真実である。
posted by たすく at 21:26| Comment(0) | 精神次元 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

精神が似た者同士は、各自の哲学を他者のそれで『確認』できる--精神が高い者は孤独だ

精神が似た者同士は、各自の哲学を他者のそれで『確認』できる 精神が高い者は孤独だ

酒場では、各自、見解が似た者どうしがつるむ。本音をさらけ出し、自己の信念を語り合う。相性がよく、気があった者は、友達となる。

次元が似た者同士の共通認識は、次元ごとにに違う。それを調査して、一覧表にすると面白いだろう。

精神が優れていると、それがない。同じような高い見地をもつ人は稀だからだ。古典の天才の中に、理性を的確に語れる者の中に、自分と似た哲学を発見して、うれしくなる。

 本当に優れた人は、哲学的に孤独である。が、下の精神は、かつて自分がたどってきた経路であり、彼らの疑問を解いたことがあるから、だいたいわかる。だが、彼らの見解が幼稚であり、間違いであることもよく知っている。だから、孤高だ。

 お互い似る者どうしは、わかる。精神的に優れた者は、たいてい孤独にしているからだ。人間関係が豊かでも、自分自身の哲学をまず語らない。誰も理解しないことをよく知っているからだ。書に残す人は多い。

が、高い次元の者は、人類のために、それぞれが違った思想を発表する役割がある。各自は、それを守らなくてはいけない。また、自分の体験や思想ことが、最も優れたものと思いがちであるため、他に譲らない。同じ理性をもつ人でも、思想が微妙に違い、それが価値観が共通する者同志が仲良くなることのネックになることが多い。

 なぜ、自分の思想にこだわるかといえば、神(自分の守護)から与えられた完璧なものだと信じているからだ。それが不完全なものであるにもかかわらず。彼らにとっては、に直感通りに生きることが最善なのだ(高い精神の人の生き方はこれ)。

 また哲学書だけではなく、宗教書の中にも、優れた者は似た考えをみつけることができる。何もかも物事を理性的にとらえようとするものは、ある。高い精神の者は、そういうものにひきつけられる。酔っぱらいの文章のようなものは、基本的に興味がない。

 本当に、優れた者は、酒場で愚痴などこぼさない。真に重要な信念に関わることは他人に共感されないからだ。最も優れた者は、理性に埋め尽くされた書を見つけ出すと、幸せになる。そういうのは滅多に出会わないからだ。
posted by たすく at 21:01| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月20日

精神次元は、修業してもあがらない、運命で決まっている

精神次元は、修業してもあがらない、運命で決まっている

これまでみてきたように、8-9次元にあがるのは預言者や、王家のソウルグループの面々に限られる。神が計画的に、その次元の者を増やす。人間の努力ではいかんともしがたい。

生きて9次元に上がった者に、イエス、モーゼ、仏陀が考えられる。そのうち、仏陀だけが瞑想をして、悟った。他はとりわけて精神修養をしない日常の中で悟った。瞑想は高次元にあがるために、必要不可欠なものではない。

一方、仏教の道場では悟りを開こうと、日夜励む。菩薩のコロコになろうと仏の境地を手に入れようと、山にこもり、大衆に尽くし、行者となり、修業する。

それら精神向上の努力で、残念ながら『精神次元』はあがらない。忍耐、集中、瞑想力、感情をみつめること。悲しみをみつめる力。様々な資質は養成できるとしても。

精神の次元は、発達心理のテーマの消化度合いで決まる。子供の頃に、自分の内面の課題をこなした者だけが、上がる。それができないと、3,6,9,12歳でそれぞれ成長は止まり、精神の型は決まる。それで心は固まる。

 15歳で菩薩の心になる。その時に、なれなくては一生なれない。もう一度、12歳から精神テーマをやり直さないと、けつして15歳の精神=7次元(理性の自己の認識)になれないからだ。8次元(如来)、9次元も似たようなものだ。


その年齢を過ぎた者は、青年期のテーマから、やり直さなくてはいけない。大人になってから、修業してもおそい。あなた方は、自分の哲学を変えられない。脳が固まったからだ。もし、次元をあげたいなら再度、6次元の人は12歳の課題からやり直さなくてはいけない。

 君自身の哲学の成り立ちを見つめ、それを一つずつ進歩させなくてはいけない。他に方法はない。

精神修業では、道徳(瞑想、信頼、感情コントロール、理力、愛)は鍛えられる。が、精神次元は上げられない。霊界では、専門のカリュキュラムがあるため、可能だ。その時に、挑戦しよう。それまでは、諦めよう。

 私は生きて自分の次元を一つあげることは、諦めたのだ。ムダだとわかったから。でも、精神を高めること自体をやめたわけではない。では、何を始めたか? それはまた別の話。
posted by たすく at 22:25| Comment(0) | 精神次元 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする