2017年09月23日

愛の哲学は、失った愛を取り戻そうとする小人物のもの、成長の哲学こそが大人物の精神

愛を失うと、愛を求めたがる
突然の事故で、妻子を失った夫は、悲しみ、喪失感にうしひしがれて、愛をより強く求めるようになる。

 精神論で、愛を強調するのは、こういう体験の持ち主である。その世界観は、すべてが愛ではない。愛の欠如がつらいために、愛を求めるのだ。彼は、愛があるところと、愛のないところを区別して、愛がないことを強く嘆くタイプだ。愛があることで、無上の安らぎを覚える。

 ただしこの場合の愛とは、幸福感をもたらす愛情といったもので、純粋な愛ではない。

 男女関係を重視しており、やや精神的に弱いタイプだ。だから、多くの人は、愛を第一には考えない。たいていの人は、こういう不幸を体験しないから、愛を取り戻すための『愛の哲学』にとらわれる必要はない。

 森羅万象を「愛」という一面でとらえるのは、どうかと思う。

 一般的に人は、男女間、家族内にとらわれがちな愛よりも、社会全体の発展を願う。それが大きな精神的な態度だ。小さな不幸の1つ1つに、心乱されないで、大きな社会全体の安寧、成長を願う。王たる者、いや大人(たいじん)はそうあらねばならない。

 だから、『愛』よりも、『成長』をベースにする精神のほうが、スケールが大きくなり、包括的といえる。今度、その「成長」という観点をみてゆこう。
posted by たすく at 18:40| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月14日

「愛が全て」ではない 4 --- この世に愛でないものがあることを示して、反証する

 この世には、愛でないものがあることを示して、反証する。

 宇宙は最初のビッグ・バンで爆発して、どこまでも広がる。これは愛によってそうなっているわけではない。この宇宙を支配する重力も、愛によって行われているわけではない。純粋に、物理上の問題だ。宇宙のすべては愛で説明できるものではない。

 人間は、時に、交通事故を偶然に引き起こす。本人のためにもならないし、人のためにもならない。これは愛といえない。また病気にもなる。これも、愛によって病気になるわけではない。自分を愛するためでも、他人を愛するためでもないが、病気や怪我になる。あらゆる不幸は、人の幸福を願う愛によって生じるものではない。

 人は、愛以外のこともする。こういう愛がない体験を経て、愛を強く求める気持ちになる。としても、人生は愛だけではない。それが事実だ。

 人間にとって、愛が全てでも、全てが愛でもない。
posted by たすく at 21:24| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「愛がすべて」ではなく、「すべてが愛」が正しい言い方。でも、全てが愛ではない。

「愛が全て」ではない 3

愛する妻子を失った者が、自分には愛が全てだったと気づく。愛が全て、というのはこの言葉が本来そういう悲痛な叫び、だというのは正しい。

が、一般の人は、まったく違った意味でこの言葉を理解している。人間がなすべきことは愛しかない、と彼らは考える。精神論では、こちらが主流だ。こちらも間違いだと示そう。

「愛が全て」というのは、「妻子以外にこれといって大切なものがない自分にとって愛がすべて」だったという意味だ。実に、特殊な状況の人物にいえることだ。これが、人類一般にあてまるか?

 それを考える前に、言葉の間違いを正そう。

 「愛が全て」について、精神理論家は、愛という一面的なものが、宇宙のすべてである、という意味、もしくは人間にとってすべてという意味で使いたい。

が、愛=宇宙ではない。だから、愛が宇宙のすべてという言い方はおかしい。また、愛=人間でもない。愛は精神の一部。人間は高等生物のこと。よって、愛が人間のすべてというのもおかしい。

何を間違えていたか? 主語と述語の順序がおかしいのだ。「愛はすべて」ではなく、「全ては愛」と言うべきだった。

例えば、「すべては波動だ。」というのは、全ての物質は波動から成る、という意味だ。が、「波動が全てだ。」というのは、「彼の頭の中は、SEXが全てだ。」と似て、それしか考えていない、という意味に聞こえる。

「すべては愛だ。」、「すべては電気で動く。」、「すべては太陽の恵みを受ける。」というようにすると、「すべてのものは~~の性質がある。」というような意味となる。

 精神論では、「愛が全て」と言ってはいけなかった。「すべては愛」だった。

 というわけで、この段階で、すべてが愛ではなくなった。「すべては愛」という言い方にすると、「すべてのものは、特定の性質がある。」という意味となる。

 愛は、特定の性質、つまり、特殊な面ということになった。つまり、愛が全てでも、全ては愛でもなくなった。

 というわけで、文法上は、すべてが愛ではないのだ。
posted by たすく at 21:21| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする