2016年01月25日

反論『次元を変えたら、人体の中に入れるのではないか?』への解答 

 こんにちは
 新しい霊理論を説明中だ。既存の科学で理解できる霊の世界である。わると面白いはずだ。霊界論の嘘デタラメが見えてくる。


反論への解答 『反論--次元を変えたら、人体の中に入れるのではないか?』

 昨日のおさらい
     
私は前回、交霊中に霊が人体の中に入らないことを説明した。それは、テレビの中に、人がいると思うようなものだ。ラジオの中に人間はいない。他霊も人体の中にいない。

これに対する反論として考えられるものをいくつか検証する。

 反論1、「次元を変えたら、人体の中に入れるのではないか?」

 確かに、異次元で人間がいる空間と同じ場所に、霊がいることは可能だろう。しかし、1、まず次元が異なる時は、三次元世界に、異次元の物体(霊)は作用することはできない。
 もし、異次元が三次元に作用できるなら? 人間は時々、異次元から突如現れる物体と遭遇することになる。UFO以外にそれはない。だから、通常は、それはできない。また、異次元で核爆発が起きても、三次元はびくともしないものだ。もし、三次元の現象が、異次元に影響を与えるなら、たいへんなことになる。

 地球上で核実験が繰り返される。また火山など高熱の場所もある。そういう場所が、異次元に影響を与えて、核爆発で異次元も壊れるとしよう。三次元の高熱の地熱などで、異次元の町が焼き払われるかもしれない。実に、面白いだろ。

 これらを、質量保存の法則に反する、慣性の法則に反する現象という。なんでもいいや。こちらの世界があちらの世界に永享を与えるならば、あちらの世界もこちらに影響を与える。ある日、突然、何もないところで大爆発が起きたり、何もないところに人が現れたりする。あー恐ろしい。こんな話をまじめに信じる人がいることが、恐ろしい。

 というわけで、異次元の現象は、まったくこちらの次元世界には影響がない。それが物理法則である。わずかに何か変化があるかもしれないが、現在の人間が測定できないほどで、微々たるものだ。霊が人間を操れるほどの力はないだろう。

 2,次の反論。三次元で人のいる場所は、異次元では、宇宙空間の真空か、空中か、地下かもしれないのだ。

 もし、異次元で三次元と同じ場所に、霊がいても、(これは私はありうると考える)、向こうの世界では、この場所が地下か上空とどちらかだろう。まず地球とまったく同一の半径の惑星が異次元にあるとは思えない。環境が少し違うから、地球の地面よりも、高いか低い所に異次元の地球の地面がある可能性が高い。
 すると、その霊は、人間と同じ位置にずっといなくてはならないから、人間の行動に合わせて、その異次元惑星上の何もない空中をあてどもなく移動するか、地下を動き回ることになる。

 天国が上空にある場合は、人間が住む地球は霊界の地面の下、地殻のあたりになる。つまり、霊界の地下(地面の下、何メートルかの地殻)に、地球の地面がある。

 霊が人間と重なるような位置にくる時は、彼らは彼らの世界で地面の下、何千・万メートルと潜らなくてはならない。そこで、人間の行動に合わせて、彼ら霊も霊界の地下をそのように動き回る。
 異次元だから、人間の体と同じ位置にいることは可能だろう。が、そんな霊は実に面倒なことをしなくてはならない。

 人間を指導するために、もぐらとなって、彼らの霊の惑星の地面の下を動き回る。それは、面倒くさいシステムだし、非合理で、ほぼ不可能とみてよい。

 一言、異次元体ならば人体と重なることができる、という時、ここまで科学的に考察できる。

 たとえ、人体と重なるような位置に霊がくることはできても、それを維持するだけに膨大な労力が必要で、無駄である。霊界がこんな七面倒なことはしない。次元が異なるから人体に入りこめるというのは間違いである。なお、この異次元で人体と同じ位置にすることは、人体の中に入りこめることでもない。人体とは全く同一空間だが、まったく人間に作用することがないような別次元にいるはずである。(ここは厳密にそうなりうるかは検証が必要であるが。)

 まとめ
 霊は次元が違うから、人体の中にいられるの反論である。1、人間のいる世界にその方法では干渉できない。2、彼らは地下か上空か宇宙空間にその時にいるということになり、ふつう人間と同じ空間上にずっといることは不可能である。

 以上。

posted by たすく at 22:47| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月23日

霊についての新説7 『転生霊と合体霊は、人体の中にいない。』

こんばんは

 では続き。

 ここまで、憑依時に霊が人体の中に入らないとわかった。

これを一般化してみよう。あらゆる霊は、生きている人の中に入り込めない。当人の霊をさしおいてである。

 ただもし他者の体に霊が入ったとしても、大きさが異なるから、他人の体にうまく適合することはできない。私の推測では、分子レベルまで同一化しないと、本人の体を完全に乗っ取ることはできない。

まずこう考える。老人が死後、霊となる。すると、生前とそっくりな霊体となる。体のサイズ、心、目の形、口の形。それで本人の霊と区別できる。

おそらく、そんな見かけだけではなく、分子レベルまで霊体と人体は、相似性があるのだろう。なぜなら、人体から霊質だけが抜け出たからである。原子レベルまで、ほぼ同一と思える。

人体と霊体との一致は、それほど厳密なのである。もし、他人の霊が人体に入り込み、完全に適合するには、分子、原子レベルまで、同じ形状にならなくてはいけない。それは、元の霊の完全な死を意味する。

そういうのはほぼ無理である。理論上不可能である。というわけで、輪廻転生で、霊が記憶をなくして、人体の中に入り込むのは、ありえないとわかっただろう。

非科学的な人はすぐにこう考える。「神様は犬猫にも、憑依できる。どんな人体にも、適応させて、同じ形状になり、入り込める。」と。

 お嬢様は、アホですか?

 霊体は、脳があって、脳の形状や中身が、その精神を決める。脳を変形させると、精神そのものも変わる。もしドアホな人間に霊が憑依するために、原子レベルまで完全に脳を一致させる。すると、その霊はどんなに賢くても、ドアホな人間と同じ精神になる。憑依の意味がない。

 神様は指導する度に、人間の人体とまったく同じ脳になることはない。脳を変形させる時に、壊れるから、知能まで失われてしまう。神様でなくなる。神様は知能を落とさないから、人体の中に入って指導することはない。

 いやいや、もっと簡単に。今まで、霊が人体の中に入れないと、さんざん説明しただろう? もう一度そこから読みなおしてほしい。

 霊は人体の中に入れない。つまり、「転生輪廻では、霊は人体の中に入らない。」、「合体霊においても、霊は人体の中に入らない。」のである。

 まとめ1 転生輪廻の否定

1,霊は他人の人体の中に入れない
2,転生輪廻で、霊は他人の体の中に入れない
3,転生輪廻は、偽りである。

 まとめ2 合体霊の部分的に否定

1,霊は他人の人体の中に入れない
2,合体霊は、霊の一種である。
3,合体霊は、人体の中に入れない(入っていない)。

 ご理解いただけただろうか。わかってしまうと、簡単なことである。

 合体霊で、天国の霊が体の中に入るというのは、転生制度の影響である。転生では、霊が体の中に入る。それをこれまで、ひきずっていた。が、真実は、もっと簡単だ。合体霊も、人体の中に入れない。

 「合体霊」も、交信と似たようなものだ。霊は人体に入らずに、遠く天国から人を指導する。そう考えると、何もかもすっきりとおさまる。実に科学的だ。

 既存の現象を科学的に考察して、論理的に諸霊界の真理を解き明かす。これからも続けてゆく。

 では 失礼

posted by たすく at 21:35| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

霊についての新説6 『憑依時に霊は人体の中に入らない。』

 霊についての新説6 『憑依時に霊は人体の中に入らない。』


昨日のおさらい
1,霊は霊どうしぶつかる。
2,物体には、霊質が入っている。
3,よって、霊は、物体にはぶつかる(通り抜けられない)。

1,霊は霊どうしぶつかる
 霊同士がセックスするのも、霊同士がお互い手を結ぶことも、霊が着物を着られるのも、霊の物体同士が、お互い通り抜けないで、ぶつかるからだ。

2,物体には霊の物体が入っている。
人間の霊魂は人体から分離する。動物霊は、動物の体から出てくる。植物の霊は、植物から出てくるだろう。よって、あらゆる物体には霊の物質が入っている、と考えられる。

3、よって、霊は物体にぶつかる(通り抜けられない)
 霊は、扉にはぶつかる。なぜなら、扉の中には、「扉の霊質」が入っている。人霊はその扉の霊質にはぶつかる。つまり、霊は人間界の扉にもぶつかる。霊は扉を通り抜けられない。
 霊はその他、あらゆる人間界の物体を通り抜けることはできない。

 こういうことを昨日、述べた。

 「憑依では、霊が体の中に入らない」

 今日はここからの続きを説明しよう。

 理論上は、霊は元の人体から出た後、戻ることはできる。今までの話では、霊魂が入っている人体には、霊が入れない。霊魂がない人体には霊は入れる。

 霊は、生きている人の体に入り込めない。なぜなら、他人の体の中に当人の霊がいるからだ。霊は霊どうしぶつかる。他人の中の霊を追い出さない限り、入れない。だが、当人の霊は、死ぬまで人体から分離することはない。よって、霊はいくらあがいても、生存者の中に入れない。

 新説6 憑依では、霊が人体に入らない。

 交信時に、「霊が入ってきた」と表現するが、実際に霊が人体の中に入ることはない。なぜなら、他者の霊が生きている人の中に入ることはできないからだ。

 交信時に意識を失い、記憶もない。本人の魂が抜けたという人もいるだろう。しかし、目覚めたまま交信する人もいる。本人の意識があり、霊の言葉を話す。同じ交信だが、明らかに本人の魂が抜けていないまま交信する例もある。

 本人の意識があるまま交信できるのだから、つまり、本人の魂は残っていても、交信ができる。だから、魂が霊能者から出なくても交信できる。それは魂が抜けるなど面倒なことが起きなくても、交信できることを意味する。つまり、霊(本当に霊かは不明)は人体の中に入らなくても、霊言を話させることはできる。
 降霊術、憑依などでは、霊は人体の中に入ってないとかんがえられる。魂を本人から取り除くというのは死の時にしか起きない危険な作業だろう。それなしに憑依と降霊が可能なら、それが本来の原理のはずである。

 魂が抜けるという余分な作業であって、それがあってもなくても、霊言は可能なのだ。つまり、憑依時に霊が体の中に入ってなくても、霊言や「憑依」とみえる行為は起こさせることができるのである。

 本人の魂が抜けてないなら、他者の霊は入れない。で、霊が入ってないのに、霊言をしていることになる。つまり、憑依時に、霊は人体に入らないのである。

 霊言を話す時は、周波数を合わすという言い方がよくされる。周波数を合わせると、相手とつながり、相手の言葉が、心に浮かぶ。それは、まさに人体ラジオである。
 ラジオは、放送の発信者がラジオの中に入っているわけではない。テレビも、テレビに映るものや人が、テレビの中に隠れていない。そう考えるのはよほど、科学に疎い人だ。放送者は、ラジオの中ではなく、遠く放送所にいる。

 霊能力による交信も同じだ。交信時に、霊が人体の中に入るのは、かなり非科学的な考えである。交信時に、霊はどこか遠くにいて、そこから通信を送っていると考えるべきである。

 ここまでついてこれただろうか。

 憑依された時に、「霊が体の中に入ってきた。」と、言おうものなら、「あいつは、テレビの中に人が入っていると思うタイプだよ。」と嘲笑されること間違いなし。「人間ラジオ」になったと考えるのがベストである。

 これが霊の世界を科学的に考えるということである。
     
では、失礼。
posted by たすく at 21:06| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする