2016年01月16日

霊についての新説3 『霊が瞬間移動できると、地獄がなくなる』

こんにちは

 私は『霊界』についての諸説を論理的に、やっつけている。ここを読むと、科学的な知識を得て、少し賢くなれるだろう。今日は、誰もが仏教の『地獄』、キリスト教の『煉獄』がおかしいと気づける話。

 霊についての新説3 『霊が瞬間移動できると、地獄がなくなる』

 霊は瞬間移動できると思われている。臨死体験で、半死の人物が『思った場所に瞬時に移動できた』からだ。両親の顔が見たいと思ったら実家にいた、という話がたくさんある。
幽体離脱でも、思った場所に瞬間移動きる。霊も同じような能力があると考えられた。
しかし、この説が正しいなら、地獄がなくなる。従来の霊界論は破綻する。

地獄とは、無間地獄、性欲地獄、修羅地獄など仏教絵画に描かれるような、キリスト教の煉獄のような醜い心の持ち主や犯罪者がゆく、牢獄のような苦しい場所である。そこからは自由に出られなくて、長年閉じ込められ、苦痛の中に過ごす。それらは誇張されている。現代的に考えると、地下で、生前、犯罪者や欲望にほうけた悪質な者が集まるところだ。
地獄から自らの意志で抜け出られない。そこに長い時を閉じ込められ、苦しむ。そうなりたくないなら善人になりなさい、と諭される。

 が、瞬間移動できるなら、誰もがいつでもそこから脱出できる。人間界に戻りたいと思ったら、すぐに地上にいる。天国にゆきたいと思ったら、その次の瞬間には天国にいる。誰も好んで、悪党の巣窟、悪人がたむろする地獄に長居したくない。瞬間移動できるなら、ふつうの人はどんどん地獄からいなくなり、一番住み心地のよい天国にゆく。地獄は、よほど悪趣味な者達だけの世界となる。地獄に長年暮らすという話が偽りとなる。

 瞬間移動というのは、霊能者がよく行う。念じた所に、移動できる能力だ。以前住んでいた家にゆきたい、学校の教室の中にゆきたい、と強く思うと、その場所にいる。霊能者はそんな幽体離脱の体験を得意げに話してくれる。誰も記憶した場所は移動できる。過去・未来にゆけるかは今一つはっきりしない。

 霊にその能力があると思われている。すると、誰もが暗くじめじめした地獄はいやだから、明るくきれいな天国や地上にうつる。霊がもし、瞬間移動できるなら、『地獄』はほぼなくなってしまう。霊は天国だけに集まる。霊はほとんど天国に過ごし、時々、子孫の顔を見るために地上に来るという生活になるだろう。

 『瞬間移動できる能力』と『地獄』は両立しない。瞬間移動できる能力があると考えると、地獄が消える。瞬間移動できる能力がないと考えると、地獄は残るのである。どちらかが間違いである。

( なお、『霊に物体を通過する能力がない』という立場では、地下の地獄はなくなる。なぜなら、地下は鉱物や溶岩の大地であり、霊が住む隙間はないからだ。)

 波長説--波長が合う所に霊はゆく
昔の人も、この矛盾に気づいたと思う。『瞬間移動できるのに、地獄にとどまるのはおかしい。』と。そこで、『波長説』が登場する。(心の重さ説はまたあとで)
『霊は心の波長のあった世界にしか行けない。地獄の心をもつと、地獄にゆくことしかできない。地獄からは出られない。』という最もらしい仮説だ。『地獄からいくら瞬間移動しても、地獄の中にしか移動できない。だから、地獄から抜け出られないのは間違いではない。』、とこの立場の人は言い張る。

 しかし、よく考えよう。上で説明したように、幽体離脱者と臨死体験者は、心で念じた所には自由に行けるのである。親の家、家族の住む所、愛する者のいる所。つまり、三次元的な世界には自由にゆける。それが幽体の性質であり、臨死体験での話だ。霊は同じ能力をもっていると考えられている。

 つまり、人間の住む世界には、いつでも霊は移動できることになる。以前住んでいた家、追憶の場所、思い出の地などなど。というわけで、やはりこの波長説でも、地獄から好きな時に脱することができてしまう。天国は本人が場所を知るまでは、行けないだろう。が、一度、天国を知ったら、そこにはゆけるだろう。
 よって、波長説でも、地獄に閉じ込められることはないのである。波長説を使って、『霊は地獄から出られなくて、そこで永遠に過ごす。』という人には騙されてはいけない。

 というわけで波長説でも、『瞬間移動の能力』と『地獄の暮らし』は両立しない。

 つまり、どちらかが間違いなのである。さて、どちらが間違いなのだろうか。『瞬間移動』と『地獄』。考えてほしい。
 
では、失礼。



posted by たすく at 21:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする