2016年02月22日

天国も、物質(の世界)だ


からかっているのではない。真理を述べているのだ。


天国も物質的である。

簡単に話す。

物体はわかりにくいから、物質、もしくは物理世界と理解してほしい。個体も物質。波動も、光も、空間も時間も、含めるものとする。この宇宙にあるものは、すべて物理的世界のものだ。物理世界のものと理解してもよい。

人間は物質である。

物質から分離したものは、物質である。

人から、霊と肉体が分離する。

よって、霊も物質である。

霊は、天国にゆくと、天国の一員となる。

霊が物質だから、天国も物質である。

神は天国にいるから、神も物質である。

簡単だろう。

今日は、天国は、物質世界だと説明した。

posted by たすく at 22:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

科学的に宗教をとらえることとは、物理世界に存在する話だけを区別すること

こんにちは、

今日は、科学の意味を深く考えた。


科学的に宗教をとらえるということは?

科学とは、物理世界の視点で、とらえるものだ。この宇宙の法則に基いて、考えることだ。
もう一つ、数学や論理学のような、実体がないもので、抽象的な学問がある。イデアもそれで、概念のみのものだ。(数学の哲学(wiki)に、このあたりのことは詳しい。)

言語は、数学的なものと物理世界の物事の二つを記すことができるが、基本的に『概念』である。
例えば、『けっして貫けない盾』は、物理世界にけっして存在しえない。超高温やプラズマなどはあらゆる物質を溶かすからだ。『全てを貫く槍』がある。こちらは可能である。例えば、『ニュートリノの槍』などはなんでも貫いてしまう。私はそうみている。
言葉の上では、そんな物理世界には存在しないものまで、『概念』として、つくり上げることができる。『その槍でその盾をついたらどうなるか?』など。

文章には、物理世界の法則に沿ったものと、物理世界には存在しないものの大きく二種類ある。後者は、数学や論理学を駆使すると作ることができる。例えば、『あらゆる物質より大きい物質がここにある。』とか。

その中で、科学的な文章はどれか。非科学的な文章(架空のもの、想像上の産物で現実に作れないもの)はどれか。両者を区別することはできる。

科学的な文章は、人間の生き方に関わるから、説得力がある。非科学的なものは、論理的なものなら、人間も理性(論理を使う)をもつから、楽しめる。が、荒唐無稽なものは、間違いとされる。論理的に間違い、というものと、物理世界に存在しないから間違い、という二つの意味がある。

 科学で、宗教を分析するとはどういうことか?
 宗教の宇宙観に、物理法則に沿ったものはどれかを、区別することだ。そして、非科学的なもの(物理世界に存在しえないもの)を、排除することである。
 例えば、『天動説』は、ガリレオがやり玉にあげたキリスト教の宇宙観だ。これは、現代では否定され、受け入れられていない。面白い視点だが、宇宙を理解する上では、複雑になりすぎて、太陽を地球が回ると考えたほうが、本質的なため、排除されている。

 宗教を科学的にとらえると
 宗教の諸説から、物理世界の法則を逸脱するもの(物理世界の法則と矛盾する概念、不可能なもの、存在しないもの)を、一つずつ洗い出す。そして、それらを否定する。この作業がどんどん進むと、宗教は、虫食い状態になってゆく。そして、科学的な諸説だけが残る。100の教条の中で、10残るとまずは優秀である。

 そういうわけで科学を採り入れると、宗教は、概念上、物理世界とは合わないものが、消えてゆく。物理に世界に則ったものは、残る。

 宗教を科学的にみるとは
 その宗教諸説が、物理世界に適合するか、どうかを区別する。そして、物理世界に存在しない概念を、除去することだ。

 私は、今、宗教を科学的にとらえようとして、そういうことをしている。
posted by たすく at 20:51| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

神は物体である???

こんばんは

 短いのをおひとつ。

 『物体から生じるものは、必ず物体である。』

 物理学には、質量保存の法則というのがあって、物体が消えたり、増えたりすることはけっしてない。

 物体から分離したものは、必ず物体なのだ。ある物体Aが、物体Bと物体Cにわかれたとしよう。すると、物体Bと物体Cを合わせると、元の物体Aになる。エネルギー上は。つまり、物体から分離したものは、必ず物体ということだ。

 物体とは、物理的な存在、という意味だ。個体のものという意味ではないよ。光、音、波動も物体なのだ。原子、分子、素粒子もだ。そう思って読んでほしい。アインシュタインが"E=MC2乗"で、個体はエネルギーに変わると言ったからね。エネルギーも物理的存在なのだ。

 難しく考えなくていい。

 『霊は人間から、分離して生じる。』

 人が死ぬと、屍と霊になる。土左衛門(残る肉体)は、誰でも確認できる。霊のほうは、まだ検出されてない。が、そうなると大勢信じている。生きている人は、霊と肉体(動かない)に変化する。

 難しくないだろう?

 よって、『人は物体である。よって、霊も物体である。』

 三段論法だ。人は炭素や水、骨から出来ているから物体だ。それから分離した霊も、物体(物理的存在)である。
 霊が物体と信じたくない? それなら、上から読みなおしてほしい。物体から生じるものは、必ず物体だと、納得したばかりではないか? 人体は物体だ。ならば、肉体から分離して生じた見えない生き物である霊は、物体なのだ。かんたんな話だ。

 で、『神は霊であるから、神も物体である。』

 神は、物体(物理的存在)だったね。残念ながら、神は物体なのだ。神は光だって? 光もいちおう物理学では物体なので、あしからず。

 私が何か間違ったことを書いたかな?

 この結論が気に食わないから、『神が霊』であることを否定したい? いやいや、いろいろあるよ。聖書の中に『神が霊』と書かれた箇所が。

『聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。(第2テモテ3章16節、新共同訳)』

『神の霊が水の面を動いていた。 (創世記 1章2節) 』

 『「神は霊である」(ヨハネ4章24)』

 あらあらあら。神は物体(物理的存在)になってしまった。神は、科学の範ちゅうにおりてきてしまった。

 今日はそんなところ。

 またのお越しを。



posted by たすく at 00:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする