2016年02月21日

神が宇宙を作ったのか?

こんにちは、
 いつのまにか、キリスト教徒を科学的に考察するようなコーナーになってしまった。まぁいいや。宗教を科学的に考える練習だ。

 神が宇宙を作ったのか? その1


神が宇宙を作ったと言うなら、神は宇宙を造る前は宇宙内にいなかったのであり、外宇宙の霊だ。

霊は、宇宙内においては、人間が死ぬと肉体から分離して、生じる(経験的にいえる。)

すると、神は霊である。神は外宇宙にいた。よって、神は、外宇宙におけるどこかの宇宙で、人間であり、それが分離して霊となったものだ。

よって、宇宙を造る前に、神は外宇宙に位置するどこかの宇宙Bにいた。

その宇宙Bを作った神が、必ず別にいるはずだ。(創造神の信仰より)

つまり、神は、最初の神と、その神が所属する宇宙Bを作った神の2人以上になる。これは、唯一神のテーゼに反する。

これは初歩的な問題である。キリスト教徒達よ。反論してほしい。難しくはないはずだ。

ではでは
posted by たすく at 23:44| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月17日

創世記では、神は宇宙を作ってない

 こんばんは
 今日の論証は出来が悪い。が、なかなかおもしろい視点があるから、参考になると思う。創世記では、実は、宇宙のことが書かれてないと考えるほうが、正しいようだ。創世記を、現代宇宙論で解釈するのは、見当違いもいいところである。

本当に、神は宇宙を作ったのか?

創造神が宇宙を作ったとキリスト教原理主義者は信じる。彼らは創世記にそう書かれている、という。本当だろうか? 調べてみた。 

『創世記1章 1節 初めに、神は天と地を創造された。』
最初に、神は天と地を作った。"地"とは、陸地のことだ。創世記 1章 10節に『 神は乾いた所を地と呼び。』とある。地とは乾いた土地で、海が水の集まった土地とする。地は、陸地だ。"天"とは、空のことだ。1章 8節に『神は大空を天と呼ばれた。』とある。天とは、宇宙ではなく、天球であり、空をさす。

神は最初に、陸地と空を作ったのだ。神は最初に宇宙を作っていない。誰かがいつのまにか、『天』=空を宇宙と解釈するようになったことは、間違いだ。

 空には太陽と星、月がある。空は宇宙を含む。だから、宇宙と考えてもよいか?
 それは違う。神は、4日めに太陽と月、星を造る。『天』には、そういう宇宙の星々がない。よって、天は宇宙ではない。空と考えるべきである。

創世記で神が最初に作ったのは空(天)と陸地(大地)であり、地球上にあるものだ。古代人が陸地と空がどうしてできたかと疑問に思ったのだろう。神はそれに答えているようだ。創世記は地球上のことを説明している。創世記は、宇宙を神が創造したとは書いてない。

地球で空と地が出来たのはいつか?
地球は45億年前に誕生した。陸地と空は、その後にできた。すると、創世記では、神は45億年前を過ぎてから、初めて活動した。

宇宙はもっと古い。ビッグバン仮説では、180億年前だ。その後、45億年前までに多数の星々も発生した。神はそれを作ったとは書いてない。最初に空と陸地を作った。それ以前にできたものは神が作ってない。つまり、45億年以前の宇宙を神は作ってない。よって、神は宇宙のほとんどを作っていない。

 創世記をそのまま解読すると、神が宇宙を作ったと考えるのは間違いである。

創世記は、古代の宇宙観と考えるのが妥当だ。

"天"を現代的に、宇宙と解釈するとおかしくなる。太陽が作られるのは4日めだ。つまり、15章で『「天の大空に光る物があって、地を照らせ。」そのようになった。』時だ。

それは、3日めの植物発生の後だ。11章で『「地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける果樹を、地に芽生えさせよ。」とそのようになった。』とある。

神は、植物、果樹が登場した後に、太陽と月を作った。これは、科学の示す歴史とは異なる。"天"を宇宙と考えると、真実の歴史と一致しなくなる。が、当時の人々の宇宙観(天球図)と考えると、こういう現代科学では理解できない『創世記』も理解できる。

創世記では、古代の宇宙観にもとづいて、創世神話が描かれていることがわかる。

 当時、空には太陽や月、星が光っていた。それを天と呼んだ。中世以後から現在では、『天球』と呼ぶ。古代の人はどういう順序で天球が生じたか。考えたのだ。その結論が創世記である。

 神は真理を語る。が、創世記は明らかな間違いが多い。神は間違いを語らない。よって、創世記は神が語った言葉と理解することはできない。創世記は、古代(古いイスラエル民族)の宇宙観というのが事実だろう。

 地球や宇宙の歴史と合わないことから、創世神話を宇宙論と扱うのは、難がある。

創世記では6日めに人が作られる (数字は章)
1日目 1,天と地、2,混沌と闇、水 3,光 4,光と闇 5,昼と夜、夕べと朝
2日め 6,大空と水 7,大空と水の位置 8、大空を天、夕べと朝
3日め 9、10、乾いた地 水の集まりを海 11,12草と果樹
4日め 14、15、16、太陽と月 17、18 昼と夜、光と闇を分けた
5日め 20、21、魚と鳥 22 魚と鳥は増えろ
6日め 24、25 家畜、蛇、獣 26、27 人 男女 28、29人の食べ物

 以上

posted by たすく at 20:57| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月16日

神は自らに似せて人を作った-- 神は有限である 神のサイズ他

こんばんは
 大阪は冷える。

昨日、人間と同じ形とは、同じ体型と器官をもつことだと説明した。生物学的に、知性がある動物は、どういう形になるか? およそ決っている。人間とよく似て、脳と頭蓋骨、首があり、目、口、鼻、耳があり、胴体と手足がある。

霊だから、そういうものがないというのは、生物学的におかしい。霊であっても、そういう肉体をもつ。科学的に考えよう。

今日は、もっと単純な話をする。

神は有限である。
人間は、肉体はその重さが平均50-70kgほど。移動距離は、せいぜい地球の中。見える範囲は、望遠鏡を使っても、宇宙の果ての手前まで。人間はこのようによって感覚できる範囲、活動できる範囲が決まる。
神様も霊体で、人間のような肉体をもつ。すると、活動範囲も、知覚する範囲も限定される。よって、無限ではない。有限である。

 神が無限の実在というのは、聖書の『人間と神が似た形をしている』という箇所に反する。

 神の身体のサイズについて 最大値
神はあらゆるものに超越することもない。まず身長は10m以下だろう。生物学的に高度な知性の場合、最高で3-5mほどではないか。それ以上に大きくなると、恐竜のように体格に比して、脳が小さくなる。ゆったりと動くしかなくなり、機敏な動きができない。それは脳が発達しない。神らしくもない。

最低値は、脳の大きさで決まる。脳と付随する器官から身長が予想できる。人間の脳の重さは成人で1200-1600g。体積は、1200-1500立方cm。神様は人間より知性が高いから、脳のサイズは人間以下ではない。よって、脳は人より大きい。人間で最も身長が低いのはギネスに載っているが、50cmくらいだったと思う。神様はそんな低くはないだろう。
 このように考えると、神は大男か、頭の大きな小人か。その範囲だ。神はそれ以上に小さくも大きくもなれない。神はおよそ身長1-3mだ。

実にリアルな話である。私はやや神様は人間より身長が低いと思っている。理由は、特にない。

『神は人間と形が似ている』と聖書で書かれていなくても、現代生物学が描く神の姿は、身長1-3mの2本足の人間のような霊の生物なのだ。聖書は、それにお墨付きを与えるにすぎない。

というわけで、神は有限の物体で、知性をもつ人間型の霊だ。人間と似ていることから、そんなことがみえてくる。

よって、以下の考えは否定される。

神は無限の能力をもつ
 神は無限の能力をもつことは、否定される。万能とはあらゆる面で最高の能力を示すことを言う。神はダビンチのように万能だろう。が、その能力は有限である。

神の愛は無限である
 神は人体とほぼ似たようなサイズの霊だ。彼が実行しえる活動は有限である。よって、その愛も有限である。なお、永遠かどうかは、霊の寿命で決まる。霊が永遠に生きる(永遠に近い年月を生きるという意味)なら、神の愛は永遠だろう。だが、神が人々に注ぐ愛が、永遠かは定かではない。神は愛の対象を常に、限定しているためだ。

神は宇宙に偏在する
 この正確な意味は今のところ知らないが、ほぼ人体と同じサイズで収まっている霊が、宇宙に偏在(宇宙のどこにでも存在すること=宇宙と同一化)することはできない。

なお、ここでは、創造神にかかわる内容は、省く。

 このようにキリスト教徒の様々な信条が、科学によって瓦解してゆく。

以上
posted by たすく at 21:24| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする