2016年02月14日

時間を超越する神とは? タイムトンネルの中に神はいない

こんにちは、
 今日は暖かい。

 日本人の神学というものがある。キリスト教の教えをよく知らないで、教義の一部を科学的に解釈したつもりのものだ。以下のは、チャネリングで書かれていたもの『タイムトンネルの中に住む神』、という考えへの反論である。

時間を超越する神とは?

 日本人は『神が時空を超えた存在』という時、タイムボカンシリーズか、ドラえもんの"タイムトンネル"を思い浮かべる。神がタイムトンネルに住む、と想像する。神はその奥から、時間の扉を開けて、時代ごとに干渉する。神はあらゆる時間に同時にそうやって存在する、と主張する。

 これは日本人の特有の発想で、アニメの科学で神様を解釈する。しかし、この『時間の超越』の理解は間違いである。

 よく考えよう。人間を導く時、神は必ずこの時間の宇宙にいなくてはならない。

 神様は、時代ごとにいる。人がタイムトンネルで過去に戻ると、過去の本人に出会える。両者は"山田さん"としても、2015年の山田さんと1978年の山田さんは、別の人間である。神様もタイムマシンで過去・未来にゆくと、時間ごとに別々の神様がいる。

 100年前の神は、今の神にとって、過去の神となる。両者は別物である。なぜなら、共産国を崩壊させた神は、それをまだ実現していない神と、同じ名だとしても、経験や意図に違いがあるからで、厳密に同一ではないからだ。

 例えば、10、12、14世紀の神がそれぞれ過去からやってきて、20世紀に集まったら、4人の神が出会うだろう。

(タイムトンネルに神が住むと主張する人は、神は一人だとする。が、それはおかしなことになる。神様は、時代のそれぞれの人類に向けて、自らの意志を実現すべく、活動する。時代は無限にある。その活動量は無限となる。この宇宙は有限である。この宇宙では有限の活動しかできない。が、神様は無限の活動をする。それは矛盾である。ややラフな論証である。)

 それぞれの神は、その時代を支配している。過去の神が、現在を支配すると、過去と現在の2人の神が、人類を支配する。それは二重支配でおかしい。

 現在の神が、現在の地球の支配権があるはずだからだ。過去の神がもし、タイムトンネルで現在に来ても、現在よりも支配者としての地位は劣る。つまり、真の支配者は現在の神のみ。過去の神にその地位はない。現在の神が、我々の神である。その他の時間からきた神は、我々の神ではない。

 というわけで、神様はある時代には、1人である。2人以上にはならない。他の時代(過去・未来)の神様は、今の支配者になれない。つまり、神は我々と同じ時代、空間にいる。

 神が『時間を超越する』とは、過去未来に行き来して、干渉できる。過去と未来を観察できる。未来を作れるということをさす。なお、『過去を作る』のは、過去はすでに起きたことで、確定済みだ。過去を作り変えることはほぼ不可能である。

 以上
posted by たすく at 18:13| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月13日

神が物理法則に反する? ことはしない

 次に、物理法則に反する神について2

 『神の超越』は概念上のものであるにもかかわらず、こだわりたい意固地な人はいる。彼らのためにもう一項もうける。

 この宇宙では、どんなものでも、たとえ神でも、基本的な物理法則には従う。重力、電磁力の弱い力、量子力学、慣性の法則など。神は、基本的な物理法則に必ず則って活動する。神自体が、それらに則って存在する。この宇宙では、それに反することはできないからだ。

 しかし、もっと緩やかな法則、例えば、『成長の法則』、『進化の法則』、『社会の法則』、『淘汰の法則』など大雑把な法則には、逆らうことはできる。生物は生きることが至上命題。だが、死を選ぶことができるように。

 こういう厳密ではない法則には、反することはできる。人間はそれができる。神もできる。これをもって『神は、超越する。』とのたまってみよう。すると、何と呼ばれるか?

 悪をつぶすのが人間のルールであるが、悪を野放しにして、その侵略を放置する。人々は平和と秩序を求める。それに反するように、戦争と破壊を意図する独裁者達。その侵略者に備えるのが、掟だが、侵略を歓迎する愚か者。世界平和のために、悪なる独裁国家を打ち砕くのが、世界のルールだが、それを拒絶する者達。こういうのは、悪だ。

 人は社会を発展させる。が、それに反してソ連の共産主義のように文明そのものを退化させる。文化大革命のように伝統文化(技能)と知識人を抹殺して、国家そのものを退行させる。できないこともないが、こういうのは悪である。

 神はいわゆる『法則に反する』こともできる。が、そういう悪なることはしないだろう。それら生存に反すること、社会法則に反するのは、たいてい悪である。

 神は善悪の法則に反して、悪に従事することもできるだろう。が、しない。こういうのは超越ではなく、反対の堕落という。

 『私は社会秩序を超越している。』と叫ぶのは、無法者である。神から最も遠く、悪に近い者である。秩序の破壊者とも呼ばれる。

 このように、応用的な物理法則(社会法則など、生物の一般法則のようなもの)については、神は部分的にも、違反することは可能だ。神は一部、社会法則などのルールには超越することができる。が、神はそれをしないだろう。

 『神の超越』にこだわりすぎるのも問題である。

 以上。 


posted by たすく at 20:39| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

神はこの宇宙の中の存在だから、物理法則に従う

 前回の議論では、神はこの宇宙では、物理法則に従う存在だと示した。あらゆるものを超越する存在ではない。

でも、まだ『神は全てを超越するから、この宇宙すらも超越して、物理法則を超えている。』と言いたい非科学的な人物はいるものだ。

しかし、よく考えてみよう。神は人間を通して現れた。エイブラハム、モーゼ、イエス、マホメット、他予言者である。
つまり、神はこの宇宙の中で現れた存在である。よって、神がこの宇宙の外の存在だという証拠そのものがない。神学者が、哲学の『全てを超越する存在』という概念を、神にあてはめて、『神は全てを超越する。』と言い、神を架空の実在にした。が、それは経験に反する。

 神は人類の経験上は、この宇宙の存在である。が、『創造神』の解釈で、この宇宙を作った者と理解する人もいる。それは今は論じない。

 よって、神は、人類にとって、はじめからこの宇宙の中の存在である。よって、この宇宙の外の存在と考えることは、間違いである。よって、神は宇宙の中にいるため、この宇宙の物理法則に従う。

 神は、物理法則に反することはできない。神は宇宙を出てもいない。

 なぜこのことを強調するかというと、哲学と科学の議論を混同する者が神学にも、宗教にも少なからからずみられるからだ。神学は、往々に科学の命題を逸脱する。それは、神を正しく表していない。それを確認するためだ。

 創造神の話から、神の超越が来ているのだが、その分析は、後でしよう。

 以上
posted by たすく at 20:35| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする