2016年02月15日

神は、自らに似せて人を作った-- 神は姿形が人間と似る? 似ない? どっち?

こんにちは
今日からは、しっかりとネットで調べて書いている。進化だろう。人間だもの。

 『神は、神に似せて人を作った。』 この章句から、何が何がいえるだろうか?

 原文はこれだ。

創世記 1章 26節

神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。

創世記1章 27節

神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。



 創世記1章の26-27節からくる。
 
正直に読もう。形とは、文字通りの形で、肉体の形をさすのだろう。神は人間の姿をしている。ここから様々にいえることがある。

 が、それはさておき、キリスト教徒は独特の解釈をする。それは反駁しておく。
 一つ、『神は霊だ(聖書の文句)。霊は形がない(仮説)。よって、神に似ているのは、姿形ではなく、精神(道徳、社会性)だ。』という。

 ほぉ。反論する。『霊に形がない。』とは。

 確か、キリストが死んだ後、霊となった自ら姿を弟子たちに見せている。イエスの霊は人間の姿、イエスの姿をしていたと思う。上記の解釈をする人は、霊は形がないと言うので、イエスの死後を忘れたのかな。日本人らしい聖書知らずな解釈である。霊は生前の姿形をしている。

 聖書で反論するのは、このブログの方針ではない。現代の学問の見地で反論しよう。

 現代の生物学では、脳がないと、精神もない。神は精神をもつことから、神は脳をもつ。脳が露出した神様は『本体が巨大脳のマモー』で、廃病院の手術室ようで怖いから、それを覆う頭蓋骨がある。首だけの神様も不気味だから、それを支える首がある。ハゲの神様も美しくないから、髪の毛も生えているのたろう。盲目の神様は何も見守れないから、目はついている。口のない神様は無口で変だから、口もある。耳なしだと、人の願いが聞こえないから、耳もある。鼻がとれたら、らい病のようなので、そのくらい治療できる神様は鼻もついているだろう。脳に血液を流す血管があり心臓もある。肺もあるはずだ。手足のない神様は、五体不満足なので、それもついているだろう。全部もつと、人間のような姿になる。

 神様の形に似せて、人間を作ったとは、文字どおり、神様は人間の形をしているということである。

 生物の進化からは、5本の指がないと知性が発達しないといえる。神様は、最高の知性を持つから、5本指もある。同時に4本足で歩くのは手が自由でなく、知性の発達もなく獣のようだから、神は2本足だろう。

 と、生物学を駆使すると、このくらい神様の姿は、人間に似てると、予想できる。聖句は『神様と人は形が似ている。』 文字通り受け止めて、間違いなさそうだ。

 神は精神だけでなく、姿も人間と似ている。

以上 
posted by たすく at 22:53| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

時間を超越した神様 神様はタイムトンネルの外に住むと?

こんにちは、
 タイムトンネルの神様を様々な確度から考察した。私は物理学について詳しくないために、深すぎるものにならなかった。しかし、なかなかおもしろいことがわかった。

 神様は時間を超越すると思っている人はいる。神様は、あらゆる時間に同時に干渉しえる。それはきっと、タイムトンネルに住んでいるのだと一部人は考えている。それに対する反論である。

 神様はタイムトンネルには住めない。

 もっとかんたんな理由がある。タイムトンネルは磁場が安定していないはずだからだ。下手すると、どこかの時代に転落して落ちる。こんな不安定な空間に、天国はとうてい作れない。神様も住めない。

 天国には日光が降り注がなくてはいけないから、太陽がどこかにある。天国は動物がいて、植物もたくさんあって、みどり豊かな自然がある。それは、惑星上にしか存在しない。天国は、どこかの霊の惑星である。当然、その天国は、地球と同じくらい安定して、何億年とその惑星は、温暖な気候に恵まれ、生物を絶やさなかったに違いない。

 タイムトンネルという不安定な磁場空間に、そんな我々の太陽系のような安定性があるとは思えない。というわけで、神様は、タイムトンネル中に天国を作ることを断念して、その外に出る。特定の時代の霊の惑星に天国を作る。そこに住むはずだ。

 ある時代の場所に住む。そして、そこから、あらゆる時間・時代の地球に向かって、タイムトンネルを通じて、指令を送り、人を指導する。それが、時間を超越した者の生活として、ふさわしいだろう。

 しかし、そうすると、また問題が起きる。
 なにしろ、4,5,6世紀などそれぞれの時代に向かって、指令を送る。それはもう膨大な量となる。時間は無限に分割できるから、ほぼ無限に時代がある。それの指令を送ると無限となる。
 宇宙は有限だ。宇宙内では有限の活動しかできない。が、神は無限の活動をする。矛盾だ。

 もう一つの問題はあれだ。神様は同時に人前に現れることになる。神様は一度に、エブラハム、モーゼ、イエスなどの前に現れたことになる。すると、神は三体以上いることになり、神は一つに反する。

 いやいや、神様は、朝にエイブラハムの時代にゆき、昼にモーゼの時代にゆき、夜にイエスの時代に行ったなど、時間はずらすことは可能だろう。

 これでは、神様は、時間を超えることができるが、特定の時間の世界に住むことになる。というわけで、この考えでも、神様はタイムトンネルに住めない。

 このケースでは、どこかの時代に住むとして、これはこれでやっかいな問題になる。

 なぜなら、神様の住んでいる世界がある。そこは時間が流れる。そこを時間で分割すると、30年前の神様がいて、10年前の神様がいることになる。10年後の神様もいるとしよう。それら神様がタイムマシンを使って、3人集まることができる。どれが、本当の時間を超越した唯一1人の神様だろう? これでは、無限に時間があるから、たくさんいてわからない。どれもそうではない。

 よって、時間を超越した場所にいて、全ての時間に同時にアクセスするような神様は、いないのである。観念上の産物であって、それは現実の宇宙に存在しえない。

 いったい何を間違えたのだろうか?
 神様は、時間ラインごとにいる。それが真実なのである。全ての時間と空間を見渡し、その奥から指導するたった一人の神様はいない、ということである。

少しラフな論証ではあったが、時間を超越した神様の考察は、以上でおしまい。


posted by たすく at 18:49| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする