2016年03月21日

人を超えるコンピューター達は、神をも超えるか?

こんばんは

人を超えるコンピューター達は、神を超えられるか?

これはまとまりのない論考である。囲碁で最上クラスの人間にコンピューターが勝った。小説を書くコンピューターも登場(人間が調整する)。コンピューターが人間を部分的に超えてしまった。そんな時期に、思うこと。

神は人間に似ている。つまり、神は高等生物である。

コンピューターは発生して、60-70年でとうとう人間の知能を一部、超えてしまった。あらゆる知識を完全に凌駕するまでは、もうしばらく時間がかかるだろう。それは10-30年以内とする。
コンピューターは情報処理の速度が早い。これは、脳をもつ生物よりも何倍何万倍、何億倍だろう。

 神は、生物である。生物は、脳を持ち、それは情報処理能力は限られる。コンピューターはほぼ無限に近い速度になるだろうから、神をいつか超えられるかもしれない。

 神を超えるというと語弊が出る。神に近づく、ということにしよう。ならば、近づいた後は、抜き去るから、コンピューターは神を超えてしまう。

 超えないなら、どうしてそうならないといえるのか?
 コンピューターには自ら進化する力をもっていないからだ。が、進化の法則が解明されてしまうと、それもソフトウェアに組み込めるはずだ。すると、そのコンピューターは自力進化が可能となる。その素早い進化で、地球上で最初に神に追いつくことができるかもしれない。

 このようにコンピューターが最も早く進化する物体となる。神に一番早く近づくのはコンピューターだろう。 そして、抜き去るのも。もちろん、当面は部分的にである。が、人間の機能が解明されるにつれて、より全体的にそれが実現するだろう。

 コンピューターが絶対的に、生物に劣る何かがあるのか? それさえみつかると、コンピューターが人間の上に立たない理由となる。そうなると、コンピューターは人間の上にも、神の上にも立てなくなる。実に、素晴らしい。

 地球の管理者は、神。その次は、人間であらねばならない。コンピューターに支配されてたまるか。
posted by たすく at 22:35| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月14日

現代社会論が描く神の真実

こんばんは
たまっていたアイデアをやっと言葉にできた。まだまとまりはないだろう。しかし、心に響くものがあるはずだ。

 社会論で描ける神とは?

 20世紀に人類は社会というものをより詳しく知ることになった。社会主義、計画主義のように中央が全ての国を支配する体制は、脆く、野蛮だと理解した。個人個人が自由にして、そういう自由な個人がある社会のほうが強く、また高度だと判明した。

 これは、コンピューターにおいては、巨大なコンピューター一つが全てを管理するほうがよいのか。それとも、ほどほどに優秀なコンピューターがたくさんあり、分散処理したほうがよいのか、という違いだ。大きなコンピューターが全てを管理するのは、愚かな社会主義の発想なのである。それは、強くも、最高でもない。

 ここまで書いて、勘のいい人はもうわかっただろう。宗教において、この社会モデルは何を意味するのか? つまり、これは神の社会体制についての話である。

 神はより強く、より素晴らしい存在である。よって、社会主義統治型、一つの神が全てを管理するような劣った体制を敷いて、この世界を支配しているわけではない。優秀な自由な個人(霊)からなる社会体制を敷いていると考えられる。

 ここにおいて、神の直接支配という考えが否定される。それは、全ての個人は、神と直接つながっていて、神が全員を統治するという霊と人間のネットワークのことだ。

 神の世界は、最高の社会形態である。

 まず一つ、神と人間の間には、霊がいるはずだ。
 個人と神がつながるという、まるで神の世界に、まったく何も社会がないような状態ではないだろう。神と人との間に、霊がいるはずだ。企業では、社長が全てのお客様に接客することはない。中間管理職がいて、接客員がいる。神と人間の間に、多くの霊が介在するはずである。 個人ごとに担当の霊がついて、それが上の霊につなぎ、という階層性はあるだろう。

 神の命令を、中間の霊がそのまま伝達して、実行するような、集権的な体制でもないだろう。これは巨大コンピューターによる一元支配のモデルである。これは、社会主義者が考えそうな神の世界である。これだと、中間の霊は、何も自由な决定ができない。つまり、それは暗黒の共産国と同じになる。天国が地獄のような共産国ではないことは確かである。霊は、ある程度に、自由に創造することは許されているはずだ。よって、神の国は集権的な独裁体制以前ではないのだ。

 地域ごとに、ある程度の裁量はあるだろう。階層性は持つであろう。
 また専門職が活躍するような面もあるだろう。
 気のあった者達が、グループを自由に作ることもあるだろう。
 個人主義的な面もあるだろう。
 インターネットよりも高度な、情報ネットワークがきっとあるだろう。

 このように現代の社会論をあてはめてみると、神の国の社会体制を描き出すことができる。原始共産制とはほど遠いことは理解できる。あれは、弱肉強食に対する何ら抑制がない社会である。

 そして、神自身の姿も導き出せる。神の国は、巨大な才能が、神の国を一括支配するような、独裁的な生き物でははないということだ。神は、さほど巨大で、何百万人分、何億人分の働きを毎分するような巨大な能力を持たないことが類推できる。そうでなくても務まるからだ。
 具体的には、天国で最高の叡智があるとよい。もちろんそれは、万能で、誰よりも優れていることはもちろんである。が、創造神のような宇宙を作り出し、全てを管理するような途方もない才能は要求されないのである。ここから描けるのは、人間ですら、霊となり、向上すると、いつかはなれるような神である。

 今回、神が巨大脳の怪物ではないことは、明らかにした。また神が人間を直接支配する体制は、おかしいとも明らかにした。
 神と聖霊、霊がよりよき社会を作り、それで神の国は発展していることを予想した。


posted by たすく at 20:55| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月08日

神を信じる者と信じない者とどちらが優れているか?

こんにちは
 時間がなくてね。熟慮して書けない。でも、まっ面白いなら、それでいい。

神を信じる者と信じない者とどちらが優れているか?

 無神論者と信仰者とどちらが優秀か? という問題である。

 無神論者とは
 神や霊がいない。死後もない。天国も地獄もない。死んだら終わり、という狭い考えの持ち主である。

 信仰者とは、
 霊や神がいる。死後は霊となり、天国にゆける。それから永遠の命を授かり、暮らすと、伝統的な考えの持ち主だ。

 違いは何か?
 どちらも人間なので、物理世界(自然、人間、地球、宇宙、木々、動物、国家、社会)があると思っている。無神論者は、現代科学でとらえられていると思われているもの以外は全く信じない人だ。有神論者は、最先端の科学のさらに先の世界の一つとして、神や霊を信じる者だ。なお、ここでは、現代科学を否定する原理主義者はとり扱わない。

 どちらが優秀か?
 一般論としていえば、アインシュタインが現れるまで時空の歪みなど想像もできなかった。ニュートン物理学などしか信じなかった人と、相対性理論の世界を理解しえる人とでは、それはより多くの視点をもつ者のほうが優れているに決まっている。

 つまり、三次元の事物+霊や神を信じる人と、三次元の事物のみを信じる人とでは、より多くの視点をもつ者のほうが優秀である。すなわち、科学しか持たない人よりも、科学+信仰を持つ人が優れる。

 もちろん、信仰が科学を歪ませない信仰者に限られる。一部、原理主義者は、科学者よりも劣る。実際、宗教原理主義者は、科学の進んだ国の武力で負けてしまう。

 というわけで、唯物論者、無神論者は、科学+信仰をもつ者よりも弱いのである。が、科学知識がなく、信仰だけをもつ者よりは無神論者のほうがこの世(物理世界)で、強いだろう。


posted by たすく at 21:21| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする