2016年05月19日

唯心論の否定 -- 人は霊になる やがて天国にゆき神と会う。人、霊、天国、神は心の外にある(いる)

ここは、お硬い哲学論争を語ります。


唯心論が間違いの根拠

科学的に霊や神の存在が証明されない。どこに神や霊がいるのか? 問いつめられた信仰者は、つい『私の心の中にいる。』とうっかり言ったのが間違いの始まりである。神や霊は、心の中にいない。それを新しい論法で今回は、証明する。

これまで様々な方法でこの唯心論を否定してきた。再見しよう。

 高等知性をもつ生物の脳の大きさ。脳の中に霊がいないことの証明
神や霊が知性をもつ生物として、その脳のサイズはどのくらいか。小さな昆虫並では、脳が高度に発達しない。猿くらいの脳の大きさでも、猿以上の賢さをもてない。神にはとうていなれない。せめて人間以上の大きさの脳でないと無理だろう。
心は人間の頭の中にある。で、神や霊の脳は、人間と同等サイズである。つまり、そこに人間の頭の中に、霊や神が入り込むことは、物理的に不可能だ。神や霊が入り込む空間が頭の中にない。だから、神は頭の中にいない。また人間の頭の中にあるココロの中にいない。

存在する次元が違う場合の証明
霊と人間のいる次元が違うなら、空間も違う。空間が違うということは、人間がいる空間と霊や神がいる空間を時空は別だ。その2つの空間を通路でつなげなくてはならない。ということは、結論。霊や神が心の中から、時空通路でつながっているとすると、神や霊は人間とは別の空間にいる。心の中にいない。

頭に思い描く自分だけの世界に神や霊が存在するという場合、心の中に神がいないことの証明
人間は、神や霊を思い浮かべることができる。心はなんでも空想できる。だから、神や霊は心の中にいる。こういう破綻に近い主張をする人もいる。これは、言葉の上の話だ。言葉の上では、矛盾することも考えられる。最強の盾と最強の槍をもつ人が世の中にいる、と考えることもできる。明日、太陽が消え失せる世界も考えることができる。神や霊がいない世界を考える人もいる。物語、文学など概念上は存在する。

 文章の中では、どんな滑稽ことも表現することができる。物理的に不可能なことでもだ。また絵の中でも、同じように、非現実的なことは描くことはできる。

 頭の想像とは、文章か絵という意味である。そこに神がいる、と人間は考えることはできる。が、それは仮想なのだ。仮説なのだ。現実ではない。よって、現実的に、心の中に神や霊はいない。

信じたことは、自分の頭の中で、概念的に存在するようになる。この場合は、頭の中に思い描く自分だけの世界(概念や絵)に神や霊がいる、という話だ。現実に神や霊がいる、ということではない。なお、概念上の神や霊は、言葉の上だけの存在なので、神や霊がそこから外に出て、現実に人々を守り、導くことはない。彼の頭の中にだけいる神や霊というものなので。

 ここは以前、もっとよい反駁を思いついたのだが、今日は思い出せない。

今日は新しく、もっとわかりやすい方法で、唯心論に反論する。

 死んだら霊になって、天国にゆき、神と会うから、心の中にいない
人は死んだら霊になる。霊となって天国にゆく。霊は天国で神と会う。人は心の外にいる。そこから生じた霊も天国も神も心の外にいる。

これで証明終わり。簡単だ。

人は心の外にいる。心の外にいる人が死んで、霊になったら、その霊も心の外にいる。霊になった途端に、誰かの心の中に入ってくるわけではない。霊能者は霊を見るが、必ず心の中にいる霊ではなく、目前や体の外にいる霊を見る。霊は自由に外を歩きまわる。誰かさんの心の中をあちこち動きまわるのではない。
心の外にいる霊が天国にゆくと、その天国は心の外にある。天国は心の中にあるわけではない。天国も心の外にある。さらに、その霊が天国で神に会う。天国にいる神は、天国自体が心の外に位置する。だから、その神も心の外にいる。

というのはこの成仏の途中で、霊は一度も心の中に入ってないからだ。天国は誰かさんの心の中にあるとは、どこにも書いてない。もちろん聖書にも。

その心の外にある天国で、その霊は神と出会う。つまり、神も心の外にいる。

 霊も神も心の外にいることがわかっただろうか。神や霊は心の中にいないのである。



posted by たすく at 20:26| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする