2017年02月08日

精神次元の話 発達心理学が示す真正の精神段階論

 精神次元の話 発達心理学が示す精神段階論

 精神のタイプとは、発達心理のテーマをどれだけ消化できたかで、決まる。3歳までの課題まで理解すると、難しいことをけっして考えないし、感覚的な美しさにも、ブランドにも興味がないような知的障害者の精神となる。

 彼らが次のテーマに興味を持たないと、自己喪失に陥る。

 3-6歳は格好いいものを求めたがる。仮面ライダーのまねをしたり、自動車やパトカーなどのかっこういいものを好んだり、少女は美しい大人などを気に入ったりする。快適なもの、みかけが美しいものを好む。子供には、そういう時期がある。6歳まで、そういう格好いいものを求める気持ちは続く。この時の子供の心は、感覚主義の大人と同じである。感覚的な大人たちは、この頃の精神年齢なのである。

 6-9歳までは、もっと実質的なものを好む。学校に行って習う。格好いいだけでは、十分ではない。運動もする。この時期は、大人の権威にはよく従う。このようにテーマが6-9歳では変わる。

 が、この探求するものが変わらない子供がいる。いまだに、かっこうつけたりするのがいる。力づくで暴れたりもする。このように6歳までの価値観で止まった子供もいる。彼らは、自分の年齢相応のテーマを自覚できない。自覚しても、それが心の関心と一致していないかのようだ。私はこういう発達課題を見失うことを、自己喪失に陥ったと呼んでいる。彼の信条や価値観は、その年令で止まる。

 だいたいこの自己喪失に陥るのは、法則がある。3,6,9,12歳と3年ごとに精神成長の危機がある。新しい段階の初期で止まる。

 精神が一度止まると、2度とより上に上がることはない。精神の基礎タイプは、その時に、その段階に決まる。

 わかっただろうか。精神の次元は、3-24歳で決まる。一度、決まると一生変わらない。精神次元も同じだ。精神次元は24歳までで決まる。その後は、生きている間は、何をしても上がることはない。

 もし上がったら、デカルトと同じ哲学をある日、語り出すのだ。「すべては理性、数理的な現象である。」、と。仏教の修行者で、そんな合理主義の哲学に目覚めた者はいないだろう? 本当に、精神が7次元、菩薩の心になったら、そうならなくてはいけないのにだ。よって、誰も修行によって、7次元に上がれないのである。

 地道に、12歳から15歳までの自分の内面の課題をみつめ続け、それを解決してきた者だけが、その7次元の世界の扉--真正の合理主義に心を開く。彼が本当に、理性化した精神といえる。

 それ以外は、まがいものなのだ。合理主義や理性も知らずして、菩薩の心になどなっりはしない。

 これが発達心理学が示す精神段階論である。

posted by たすく at 22:31| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

精神次元の話 精神タイプは3-21歳で決まる

 精神次元の話 精神タイプは3-21歳で決まる

 仏教では、修行すると精神の段階があがる、と信じられている。が、人間でそれに成功した人はいまだいない。

 簡単に説明しよう。
 精神の段階は大きく、5-10次元の6つある。
 5次元は、感覚志向の内向型と外向型、知的タイプの内向型がある。
 6次元は、知的タイプの外向型である。
 7次元は、理性型の内向型 単純理性型だ。デカルトと同じ精神
 8次元は、理性型の外向型 複雑な理性型だ。
 9次元は、理性に満ちるタイプの内向型だ。
 10次元は、理性に満ちるタイプの外向型だ。

 それぞれの段階に達する年齢がある。
 5次元は、9歳まで、精神が成長して止まった人だ。
 6次元は、12歳まで、精神成長して、止まった人だ。
 7次元は、15歳まで精神成長して止まった人だ。
 8次元は、18歳まで成長して、止まった人だ。
 9次元は、21歳まで成長して止まった人だ。
 10次元は、理論上は24歳以上、成長した人だ。

 なぜこういえるか?
 簡単なことだ。私は、自分のテーマを長く自覚していたからだ。6歳の頃に、精神が止まった人たちがいた。彼らは、その日から難しいことを求めなくなり、感覚的なものを志向するようになった。6歳の精神課題で、その人の精神が固定してしまったのだ。
 私は、より年上の精神課題を自覚していた。もっと難しいことや、哲学的なことも、日々考えていた。が、6歳では、そういう私の求めるものについてこれない人たちが現れたのだ。彼らの関心は止まっているように見えた。感覚的なものばかり、それ以来彼らはおいつづける。

 なお、あるタイプの知的障害者は3歳で精神成長が止まっている。内的な感覚を模索する時期だ。彼らは、みかけの美しさなど興味がない。

 9歳の頃にも脱落者はいた。子供は同じように、遊んでいる。が、どうも私の関心に合わない子供がちらほら出始めたのである。それまで一緒に遊んで、同じ関心をもっていたように思えたのに。彼らは、どうも難しいことは考えなくなった。合理的な世界観についてこれなくなった。知的だが、やや鈍い哲学を彼らは、もち始めたのである。

 12歳の時には、私は孤独になった。それまで私と似たような輝きをもつ子供は、学力優秀な子供の中にはいた。私は完全に孤独ではなかった。が、12歳をすぎると、私は自分の関心と合う者を見つけられなくなった。彼らはまた止まっているように見えた。彼らは合理的な世界観をもつものの、何か向上する力を失っていた。

 少年期は6歳、9歳、12歳と大きく3年ごとに、精神成長が止まる者が現れる。9歳まで成長した者は、その年齢の発達心理テーマで、止まる。彼の基本哲学は、その年令で定まるのだ。
 12歳まで成長する者は、まだしも合理的で明るい世界観をもつ。が、そこで止まると、彼の基本哲学はその年令のもので止まるのだ。

 私は15歳の限界も超え、18歳の高みにもあがり、21歳まで伸びた。私は21歳でようやく自分の内的課題を見失った。それまでは、自分がどんな年齢上のテーマをもつか、よく自覚していたのだ。こういう12歳より伸びる人は、ごくごく稀である。

 これは嘘ではない。なぜなら、人間の精神タイプは、感覚志向、鈍い知性、明るい知性の大きく3タイプしかいないからだ。

 デカルトのように「自分は数理的、幾何学的な理性そのものだ。」と言ってのける人は、君たちの周りには一人もいないだろう。誰も、デカルトがゆきついた「理性的自己」の高みに届きはしないのだ。ヘーゲルの理性哲学など、自身の哲学として理解できる人などそうそういるわけがないのだ。

 なぜなら、大勢の人たちは、それより3歳前の哲学「力学的な世界観」か、それ未満で精神の(基礎)成長が止まったからだ。

posted by たすく at 22:09| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

精神次元の話 精神タイプは一度、定まると、一生そのままだ。

精神タイプは一度、定まると、一生そのままだ。

 異論があるのか?
 「精神修行すると、世界観が変わり、新しい価値に目覚め、精神の段階が上がる。」
 君は、それを本気で言っているのだろうか? そんな人を見たことがあるのだろうか? 私は47歳だ。これまで500-1000人以上の人を見てきた。テレビの人も観察している。それを含めると、5000人はくだらないだろう。
 大人になってから、価値観を変え、精神タイプが変わった人は、一人としてお目にかかったことはない。5000人、いや数万人に1人の割合ですらいないのだ。

 ブランド好きで感覚的に生きることが生来似合っている人が、ある日、難しいことをペラペラ言うようになることを、君は目撃したことがあるのか? 私は見たことがない。

 知的なくせに、哲学が幼稚な人物が、まるで別人となったように、ある日から、別の哲学を語り出すことなど、ありえない。

 ありとあらゆる世界の理論に関心をもつ人が、残念ながら理性的な強さに劣る人が、ある日、全ては法則で動いており、私も理性的な存在だ、と語る出すことはない。

 私は見たことがない。たいていの人は10-15歳で自らの精神の課題を見失い、その時のテーマで心が止まっている。大人になってから、そこからさらに上に進んだ人などいない。

 どこに彼らの根本的な信条、哲学、彼の価値観が、大人になってから変わった人がいる? 人を観察して30年以上の私ですら見つけ出せない。もし、いるというなら連れてきてほしいものだ。じっくり吟味しよう。

 しかし、無駄だろう。いないからだ。いないというのには、根拠がある。精神タイプが、分かれるのは子供から青年までの期間だからだ。20歳以降は、脳が固まって、価値観そのものが変化しないからだ。

 もし、20歳以上で、本人の哲学そのものを変えるには、脳を退行させ、青少年の心に戻さなくてはいけない。そして、そこから青少年の発達テーマをやり直す。とてもじゃないが、そんな精神訓練は人間技でできない。青年期の発達テーマも知らないし、脳を退行させる、特定のテーマに集中する神経生理の技術もないからだ。

posted by たすく at 21:45| Comment(0) | 精神次元 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

 精神次元の話 20歳以上では精神のタイプは変わらない

 精神次元の話 20歳以上では精神のタイプは変わらない

 これまで精神段階と主要な精神のタイプをみてきた。大人の哲学は、一朝一夕には変わらない。「人間には、法則などわかりっこない。主観が客観になることすら難しいのに、客観のみもつ人など、ありえないからだ。」という科学すら心から理解しない安っぽい人格があるとする。

 ある日、彼は心変わりして、「宇宙の法則を体得した。すべては法則で動いている。」と科学者の鏡のような人格になることはない。

 よって、感覚志向の人は、ずっと感覚的な美しいものや快適なものを好む。知的な人も、知識の迷宮に入り込んでいる者もいれば、世界の理論の素晴らしさを感じ入ることができる人もいる。そういう人たちは、それぞれ一生同じ哲学、世界観の中に暮らす。

 精神は固定されている。彼らがいつ、このような価値観を身に着けたかは、あとで明らかにしよう。彼らは成人になる頃には、彼らの精神は固まっている。その価値観を一生もつ。

 ここで言いたいことは、精神段階は大人になる頃には定まっている、一生変わらない、ということだ。
posted by たすく at 21:44| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする