2017年02月24日

 精神次元をあげる時には、瞑想と日記とでは、どちらが効果的か?

 禅宗では、座禅を組み、呼吸を整え、目をつぶり、心静かにする。そうやって、自分の心に浮かぶものを観察する。

 すると、様々な思いが沸いてきて、それぞれに心惑い、煩わされる。感情が高ぶらないようにしながら、それらを受け止め、一つずつの思いを理解する。

 不倫、大きな失敗、反省、悔い、様々なものが心を支配する。なぜ、あの時、悲劇に至ったのだろう。自分がいたらなかったせいか? 自分に何ができたのだろう。激しく動揺するような出来事を、みつめる。今後、自分はどうなるのだろう?

 答えを見出さなくては、いつまでも心から離れないものもあるだろう。そのように一つずつ、悩みに答えを見出しながら、今の自分の問題を解決して、苦悩を消してゆく。

 すると心の揺れはしだいに小さくなり、落ち着いてゆく。自分の立ち位置、自分の状態がクリアにみえる。すると、疑問はしだいになくなる。悩みも消えてゆく。

 目前の問題は、しだいに解決してゆき、だんだんと奥深い問題へと入ってゆく。

 瞑想しなくても、日記を書きながら、毎日の自分の課題を書き出して、答えを見つける。それで、同じように心の問題を解決して、自分の姿をみつめることはできる。

 どらちが優れているか? 自分の心をクリアに保ち、軽くする上では、差がない。だが、暗算で数学の問題を解ける人はまずいない。詰将棋を頭の中だけで答えを出すのは、面倒だ。どちらかというと、紙に書いて、物事を考えたほうが、より正確に、より深く、より正しく考えられる。

 わざわざ目をつぶって、紙と鉛筆を使わないで、瞑想して、自分の心理を分析するのは、要領はよくない。ふつうにそういう時間をとって、卓上でするほうがよい。

 このあたり、自分の心を鎮めるために、瞑想に頼るのは、効率が悪い。自分の課題を書き出して、一つずつ解決して、答えを見出したらよい。

 では、なぜ人々はわざわざ瞑想をするか。人は、心落ち着いて、自分の状態を正確に知ったら、それで次に進むことができる。自分のしたいこともわからない人よりも、日々、的確に行動できる。効率はあがる。

 これを日記に書いて行う人は、頭がよい人ではある。が、その人は、心落ち着けるために専念しているわけではない。次に自分が何をしたいのか、どう行動したらよいのか? それを知るためにやっている。

 瞑想する人は、目的が違う。自分を極度にコントロールして、平静でいたいのだ。自分の根本を知りたい。心のメカニズムを一つずつクリアしてゆくと、さらに心の奥底にたどりつく。感覚すら遮断して、無音、光がない心の底に入り込む。そういうことがしたいのだ。

 だから、安易に比較しないほうがよい。自分の悩みを解決するだけなら、瞑想ではなく、日記をかくようにしよう。

 なお、精神次元をあげたい若者は、日記を書いて、自分の関心、精神課題を調べ、その答えを毎日見つけよう。それしか、次元はあがらない。瞑想はやめておけ。
posted by たすく at 21:55| Comment(0) | 精神次元 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする