2017年04月08日

あなたは完全な叡智を手に入れると、何をする? その1

 あなたは完全な叡智を手に入れると、何をする?

 瞑想すると、光が現れて、神のような存在につながる。その段階に達すると、あらゆる叡智を手にすることができる。そんな夢のような話が、瞑想にはある。

 これ嘘である。宇宙の叡智、すなわち科学知識、技術、学問は、目をつぶっていても、それを思いつくことも、得体の知れない心の声が語ることはない。万能の神はそれを教えることはできるだろう。が、古今東西、それをなしとげた人は一人もいない。なにしろ、科学知識を記録した瞑想家は皆無なのだから。

 瞑想で叡智など手にできない。知識を増やしたいなら、本を読め。それが一番、手っ取り早い。そう、瞑想の過大な宣伝には、騙されないようにしよう。

 今日、書きたいのはこんな常識的なことではない。宇宙の叡智を手に入れたら、あなたは何をするか? とそれを考える。

 真の叡智とは?
 完全な叡智というのは、あらゆる知恵だ。如来様や神様が身につけているような知恵だ。僧侶はそれには届かない。科学者もまだまだ知らないことがあり、既存の科学は叡智に程遠い。神はそれを知るだろうが、語らない。

 宇宙の叡智に一番近いのは、科学知識だろう。現在は未解明な分野がたくさんある。それも時間が解決するだろう。極限に科学が進んだ文明。そこの知識の体系である。

 完全な叡智を身につけると、知らないことはなくなる。それは素晴らしい。その叡智にもとづいて行動すると、全て正しくあれる。

 さて、問題。人類はこの完全な叡智をいつ手に入れるか?
 文明が永遠に発展した後? そう答えた人は、これまでの話をよく理解しているが、発想が貧困だ。
 タイムマシンを発明したら、永遠に進歩した未来へとゆける。それに乗って、未来にゆき、叡智のデータブックをもって帰ってくる。それで、人類は完全なる叡智を獲得できる。答えは、タイムマシンを発明した時である。ひとひねり加えなくてはいけない。

 次の問題、人類は叡智を手にしたら、バラ色になるか?
 人類はそれで何もかも知るだろう。が、知識(叡智)を手に入れても、技術的にできないことはある。宇宙船の作り方を知っても、材料があって、制作しないと、宇宙旅行はできない。エイズとマラリアの薬を知ることができても、薬は合成しないと手元にない。というわけで、叡智を手にしても、すぐに幸福にはなれない。技術を手にするまで、今しばらく時間がかかる。
 だが、人類にとって必要な知識はそこにあるのだから、早急に人類社会のテーマを解決するものを、次々とつくり、人類は困難を克服するだろう。しだいに人類は黄金時代になる。

 はい、問題、叡智を手に入れたあなたは幸福になるか?
 株投資をする人は、相場の変動を知り、すぐに大儲けできる。病気は、薬が開発されるまでは待たなくてはいけない。運命の相手を知ると、心休まるだろう。が、出会うまではリア充にはなれない。

 叡智には、種類がある。1, 科学や技術的など一般的な知識 2,未来や過去の情報。3, あなたの問題を解決する特定のケースの対処法である。

タイムマシンで手に入れられる情報は、1と2である。が、3の個人情報はあまりない。大雑把な記録は残っているだろう。結婚相手や出産の記録、日記などあれば、それもだ。過去の名も無き人物のすべての人生上の問題の答えを、未来社会が保持しているわけがない。だから、この手の叡智には、個人がすべての場面で完璧に行動するための知識は入ってない。

 あなたは一般的な問題への対処法と、未来についての見通しを得られる。現在のあなたは問題を解決する方法を、これまでよりも考えられるようになるだろう。だが、真に問題を正しく完璧に解決する方法は、得られない。残念ながら。

 全体的には人生をより上手に開拓できるだろう。あなたは幸福になれるにちがいない。

 問題が残った。この叡智、実用性に欠ける。叡智を手に入れても、人生上の正解が得られない。なら、叡智を手にしたといえるのだろうか。その叡智は自分とは関係ない代物となる。その叡智は、必ず自分の疑問や問題を正しく解決できるものでなくてはならない。タイムマシンで未来社会に行って入手する叡智は、やや期待外れなのだ。

 叡智とは、誉れ高い僧が口にする適切で完璧なアドバイスのようなものだ。これこそが、人々が求める実用的な叡智だ。

 では、幸福のネックになったもの、未来には存在しない「最上の個人アドバイス」はどうやって得るか?

 これは難しいから、また今度。
posted by たすく at 22:38| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

みなが正しいことをする社会はつまらないか?

みなが正しいことをする社会はつまらないか?

この物言いをする人は、学校をイメージして、実に発想が貧困だ。学校の先生が定める校則。風紀委員や規律委員会が全員の行動を監視して、それをはみだすことを許さない。そんな全員が規則を"正しく"守る社会を想定する。

 確かに、この教師の自己満足で、規則を守ることが正しさの基準となった学校はつまらない。風紀委員は「ルールだから守れ。」の一点張り。校則に生徒を従わせる。風紀委員が厳格になるほどに、自由さが消える。はめをはずすこともできず、縛られ、行き詰まるようだ。そこは退屈でつまらない。

一般的に、規則を守ることが正しい、とする社会はつまらない。校則だけではなく、人権の細かな規則をただひたすら守らせようとする連中が作る社会も、窮屈だ。
 その最たるは社会主義の国家である。不合理な規則を守り、従うと、自由がなくなり、活力がなくなるからだ。彼らは、小さな社会での彼らの独善的な正しさを押し付ける。

しかし、「みなが正しいことをする」と考える時に、こんな学級会のようなモデルを使って、考えることは一般論として間違っている。

 正しいことは、この場合、「規則をただ守ること」に限定されているからだ。しかもだ。その規則には、正しくないもの(理不尽な規則、特殊な規則、不合理なもの)がある。その間違った規則を守る行為は、正しくはないのだ。つまり、規則を守るだけの社会では、全員が正しいことをしているとは限らない。間違いを犯しているのだ。規則が完全に正しいという前提ではないからだ。

「全員が正しいことをする社会」と言う時、規則をただ守る人々をイメージするのは、というわけで、間違いである。校則に縛られた社会は、全員が正しいことをするところではない。日本人はよくそんな物言いをするが、それは「正しい」の定義に反する。賢い人の考え方ではない。

真に全員が正しいことをする社会はもっと自由があり、正しく、喜びあふれているものだ。正しいことをするから、そこでは間違ったことはしない。そこはつまらないわけではない。

社会的な間違いとは、まず犯罪だ。そこでは犯罪者と犯罪がいなくなる。それだけでも社会不安がなくなる。殺人、窃盗、強姦など悲しみがなくなる分、喜びがます。

また過失や失敗も、正しくないことに入る。人がみな正しいことをすると、人はミスを極度にしなくなる。誰も、交通事故をしない。子供が広場でボールを投げ遊ぶ最中に、誤って、ボールを家の窓ガラスに当てて、割ることもない。これはこれで楽しいと思う。なにしろ失敗や過失がないと、人生は成功が増える。実にうれしい。

また人はいつも正しいことをして、間違えないから、試験では全員が百点をとる。実に、教育効果は高く、素晴らしいではないか。みなが完全無欠の秀才になれる。

というわけで、本当に「全員が正しいことをする社会」は素晴らしいのだ。つまらないどころではない。悲しみがなく、人権弾圧の暴虐がなく、共産主義のような間違った国家も消えて、人々がみな自由を謳歌する。
 楽しく、うれしく、喜びにあふれている。これがこの物言いの正しい理解の仕方だ。「正しいことをする」という意味を、正しく考えて、そういう社会を思い描かなくてはならない。

 みなが正しいことをする社会は、理想であって、そこは素晴らしい。退屈でつまらないわけがない。
posted by たすく at 21:24| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする