2017年08月05日

幸福論 真の幸福の条件--



 私の幸福論だ。これは私の調査にもとづく見解だ。私は幸福の条件を調べた。すると、実に平凡な原因がみつかった。

 幸福の条件とは1, 恋人、夫か妻との性が充実していること 2, 家庭があること 3, デートもしくは愛の時間があること 4, 仕事が楽しく充実 5, 子供がいること 6, 社会の表の人生 アングラでないこと 7, 病気、怪我などで苦しい期間が短いことだ。

 幸福は、原始人でも、共産国という最悪な社会にいても、それなりになれるのだ。難しいことではない。幸福を感じるより効果的なものから順に説明しよう。

1, 恋人、夫か妻との性が充実していること
 単純にセックスを定期的にしていると幸せだ。男女の密な体験は、幸福感をもたらす。適度な頻度がある。それ以上にやっても、気持ちよくなっても、幸福度は高まらない。
 セックスしない者達は、簡単に幸福にならない。性体験で充実していたら、まずまず幸福てみてよいだろう。

2, 家庭があること 
 恋人がいて、もっと幸せになるには、同居する。結婚生活は幸せという共通認識は、正しい。たまに会うよりは、長く一緒にいられる。女性は男と結婚して、幸せになれると信じる。実際そうなのだ。イージーなようで真実である。愛の巣をもつ人が幸せだ。

3, 恋人、妻がいて、デートもしくは愛の時間があること 
 恋人とのつきあっている時が楽しく、幸せ。それでよい。幸福感というのは、異性とつきあっている時に最も高まる。女性はすぐにそれを求める。女性はかんたんに幸せになれる生き物だ。夫婦、恋人との時間が長いほど幸せだ。

4, 仕事が楽しく充実 
 やっと男女関係から離れる。男は、仕事で成功したり、充実してないと幸せになれないと強く思っている。実際、会社で過ごす時間が長く、そこで幸せかどうかは、大事だ。会社でみじめで、苦痛に満ちた時間が長いと、それだけで不幸だ。仕事で充実。

5, 子供がいること 
 また家庭の話で、子供がいると何かと幸せだ。家族旅行も楽しい。子供の世話が何より幸福感をもたらす。家族団欒もその一つ。これもまた女性が得意とすることだ。女性は、幸福となる方法を知っているようだ。子なしは不幸で、子供の数だけ幸せになれる。

6, 社会の表の人生 アングラでないこと 
 このように家庭や男女関係がうまくいっていると、幸福だ。が、犯罪者の1人だったり、アングラな世界に暮らしていたら、それだけで不幸だ。共産国に暮らすのは不幸なのだ。反社会運動も、幸せになれない行為だ。犯罪組織の一員で、泥棒や傷害行為を人にすることを強いられる生活は、警察や国に追われ、休まることがない。

7, 病気、怪我などで苦しい期間が短いこと
 健康こそが幸福の源だ。病気、怪我で長く入院して、苦痛から抜け出せない。それは幸福ではない。

 幸福になりたかったら、恋人を得て、セックスして、一緒に暮らし、結婚して、子供をたくさん生む。仕事でもうまくやる。そして、明るく正しい社会に住み、表の人生を歩む。そして、健康であること。何も難しいことではない。

 月並みの幸福は得られるだろう。ほとんど女の世界だ。が、女がすることを小馬鹿にしてはいけない。なにしろ、これこそが唯一の幸福の方程式なのだから。

 男が『女なんていらねぇ。』と格好つけることは不幸の始まりなのだ。幸せになりたかったら、そんな孤独な男を演じるのは、今すぐやめなくてはいけない。幸福論に男女差はない。

 さて、当然、これは世俗的な幸福だ。この幸福をすべてなしとげるのは、そんなに難しいことではない。2-4割くらいの人はできる。多少の賢さ、要領のよさがあるとよい。そして、人生に満足して、幸せに満ちた生活になれる。

 これで満足なら、そうするとよい。ただしよりよい幸福はある。例えば、夫との愛が弱いと、愛情が小さくなり、幸せも薄くなる。これを解決するには、相性が最もよい人と結婚するしかない。そういうのは、また別の機会に論じよう。
posted by たすく at 20:18| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月04日

 人生全体の幸福の基準とは何か?

 人生全体の幸福の基準とは何か?

 先に、幸福の要素を明らかにすべきだった。幸福の要件は個別にある。今日、話すのは人生全体の幸福だ。この生を終わらせる時に、その人生が幸福だったのか。不幸だったのか。どのように判定するのか。それをみてみたい。

 私は47才となって、犯罪被害者となって24年で長い。結婚経験なしの独身。貯金なし、家庭なし。実家にこもり、成果が出ない地震予知をする。たまの気分転換は、京都に電車に乗ってゆくくらい。世間の基準からすると、私の人生は不幸すぎる。これまでの人生は、いいことがなかった期間が長い。

 大学卒業後に、結婚したものの離婚する。母子家庭がいやで、男をみつけては、言いよりうまく再婚するが、すぐに夫は別の女を作って逃げられ、離婚する。貧乏に暮らす。こういう人生も不幸に数えられる。

 で、人生の本当の幸福基準とは何か? 考えてみたい。
 今から書くのは、調査で判明したことだ。およそ正しい、と私は信じている。人生全体の幸福の基準は、8つある。1, 人生全体に満足していること 2, 長生きが幸福で短命は不幸 4, 社会貢献、業績をあげた成功者は幸福 5, 子育てがうまくゆくと幸福 6, 自分の周囲の中で、立派とされることをすると幸福 7, 生活水準がよいと幸福 8, いい思い出があること。順に説明しよう。

1, 人生全体に満足していること
 老人となって、人生を振り返ると、いいことと悪いことがあった。それら全体をはかって、本人が人生全般に満足していたら、幸福だ。
 つらいことはある。よいこともある。楽しかった日々も、充実した毎日もある。失敗したこともある。山あり、谷あり。人生いろいろ。でも、本人がその人生に満足したら、幸福なのだ。
 一般の人は、だいたいこれで自分の人生の幸福度合いを判定する。満足するとは、全体的によかったということを意味する。もし、不幸8割の人生なら、俺の人生はすべてよくなかったと、神様を恨んで、恨んで、あの世にゆく。
 人生を恨むなどは、心がすさんだ者で、精神が未熟な者というのは間違いだ。それは人生が悪いのだ。犯罪者として人生を歩み、つらく厳しい中で生きて、満足できるはずがない。弾圧を受けて、楽しいことがほとんどない人もいる。幸福とは、精神の習熟度ではない。人生の良し悪しなのだから。

 2, 長生きが幸福で短命は不幸 
 長生きすると、たいてい自分の人生を肯定的に評価するものだ。が、十歳で亡くなったりすると、不幸にみえる。虐待死とか、悲しい子供だ。短命はよき人生とは思われない。よって、不幸となる。長生きしただけで、幸福の部類に入るのが多い。
 だが、あまり長く生きても、幸福とは思われない。100才以上の高齢を生きる喜びを人々は知らない。体も弱り、不幸の期間ではないかと思われている。実際は、不幸ではない。

 4, 社会貢献、業績をあげた成功者は幸福
 社会的成功者は、社会貢献している。多くの業績を残す。多くの人は、自分の活動に満足して、幸福になれる。なにしろ、人間の中で人よりも、仕事をしたのだから。自分のしごとを誇れる。男は、この価値観が強い。

 5, 子育てがうまくゆくと幸福
 社会で働けなかった女性は、子育ての責務がある。子供をたくさん大人まで育て、しかも子供が大人物になったら、母親は立派だ。母親は自分に誇りをもてる。貧乏でも、金持ちでも、子供をうまく育てた母親は幸福だ。これも社会貢献をした満足感からくる。

 6, 自分の周囲のグループ中で、立派とされることをすると幸福
 歴史的な活躍をしなくても、会社の中でよく仕事をしたり、尊敬されたりする。間違った共産イデオロギーの信奉者で、歴史的には悪だが、全共闘はそんな反政府活動を誇っていたりする。そういうものたちも、価値観が倒錯しているために、自分の活動に満足感を覚え、死ぬ前に、幸福な気分になる。
 趣味の会、地域の友達の間だけでステイタスが高かったりする。そんな小さな優越だけでも、幸福になれる。逆に、学級・親戚、地域社会で、虐げられたり、低い地位で、軽く扱われると、幸福な気にはならない。

 7, 生活水準がよいと幸福
 富豪、豊かな者、富裕層は金があって、好きなものを手に入れ、幸福だと思われている。実際、幸福である。金が十分あって、生活に不自由しなかった人生を送った人は、幸福である。が、いつも金がなく、好きなことも何もしないで、お金を稼ぐこと、節約することにあけくれ、何もほしいものを買えなかった期間が長いほど不満が多く、不幸だ。

 8, いい思い出があること
 人生を振り返る時、いい思い出と不幸の思い出があること。それで、幸福度が決まる。たとえ、いやな夫と結婚生活をつづける忍耐の期間が長くても、それなりにいい思い出があると、それに慰められる。不幸一辺倒の人生とは思わなくなる。
 私のように子供時代のはじめまで幸福で、あとは、地獄のようなのは、どうしようもなく、不幸な記憶しかない。たいていの人は、10以上の幸福の思い出があるだろう。

 以上、これら人生体験の総量で、人生の幸福が決まる。あなたの人生は、幸福だったろうか?

 しかし、これは世俗的なものの見方だということを忘れてはいけない。
 預言者は、過酷な人生を歩む。が、幸福な者とされる。世の中、もっと一般的な基準があることは、忘れてはいけない。本人が自己満足しようがしまいが、絶対的な値で、人生のよしあしを決める方法もある。

庶民は、ほどほどに幸福だったとしよう。いや、不幸だったとしてもかまわない。が、その絶対的な価値で測ると、ある者はとてつもなく幸福だとわかるのだ。今日、それは説明しない。

が、簡単にいう。あの世の人生が何億、何兆年と続く。その間に幸福を手にする量は、人によってとても大きく、またある者はとても小さい。人それぞれだ。それは、このわずかな人生の間、その生き方、習得したもので決まる。

 それを最大にする資質を身に着けた者こそが、最大の幸福者なのだ。それを最小にする者は、不幸なのだ。この人生の間の幸福だったとしても、不幸だったとしても、それはあまり関係がない。

 が、たいていの人は、自分の人生が幸福だったら、それで十分だろう。絶対的な基準を理解するまで、不満などあろうはずがない。

posted by たすく at 21:36| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする