2019年07月20日

愛の矛盾とは

今朝、思いつきました。「愛の矛盾」という哲学的考察。好きになるのは、自分にとってよいものをもっている人です。美人とか優しいとか、金持ちとか助けてくれた優しく尊敬できる人だから、好みだとかです。愛は好きの最上級です。
 一方、愛は与えること。相手に欠けることを満たすことです。飢えた赤児に食い物。病人に薬を。悪いことを直すことです。愛は相手が悪い点をもっていることで生じます。
 愛はその人がよいことをもっているからそういう気持ちになります。そして、愛は相手が悪いことをもっていても生じます。これが愛の矛盾です。
 はい、問題。この「愛の矛盾」を解いてください。答えは、下記に。


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皆様が考える時間です。

私の歌を聞きましょう。

ぱっぱらぱっぱ、パッパラッパパー。

答えがわかった方は下に。

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愛の矛盾の答え
 「愛」は多くの意味がある前時代的な言葉です。愛の永遠に続く意味は、人を好きになることです。好きになるのは相手の好ましく、良い点です。他の意味は今は使われている、キリスト教独特の概念で、長く使われない宗教用語で、大事にする、守る、育てるというものです。それは悪い点や未発達な点を直すことです。この2つは、善悪という基準をからみると、一部、矛盾します。

 2つの別の意味があるとき、それをある基準で眺めると矛盾、逆さの面を見いだすことができる場合があります。愛で、それをしました。現在使われている用法では、愛は精神論や学術的な用語としては、あまりよい言葉ではありません。愛は好きの面は残し、その他は使わないようにすべきです。

これは哲学でもなんでもありません。愛という言葉が、あいまいなものだということの例証です。


posted by たすく at 09:22| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月19日

瞑想の科学 段階7 空間

瞑想の科学 段階7 空間
 
 前回は段階6を説明した。瞑想の段階6は社会についての考え方や運営の仕方を学ぶ。チベット仏教では「如来部」と名づけられ、如来の精神をさす。識無辺処の境地になれた。今回、その一つ上の段階を解説する。
 
瞑想の段階
数-テーマ-内容-発達心理の年齢-精神の次元
1, 体内の感覚 (空腹 喉の乾き 呼吸の苦しさ )  3-4歳の精神 5次元
2, 体外の感覚 五感(目、耳、鼻、舌、触?)  6-7歳の精神 5次元
3, 認知(悟性) (食べ物、飲み物、酸素…)  9-10歳の精神 5次元
4, 運動(力) (力を学ぶ、運動規則、)  12-13歳の精神 6次元
5, 理性(論理) (空の精神、理性的自己) 15-16歳の精神 7次元
6, 社会 (通信やコミュニケーション能力、社会的地位など) 18-19歳の精神 8次元
7, 空間 (建築、人間工学、生態系、環境、環境の人間への影響) 21-22歳の精神 9次元
8, 2次元 (面、絵、写真) 24-25歳の精神 10次元
9, 1次元 (文章、音楽、声) 27-28歳の精神 10次元
10, 0次元 (直感や瞬間的なもの) 30-31歳の精神 10次元

 段階7のテーマは空間だ
 どのようにテーマが社会から空間に変わるか。段階6(社会)の末期に、識無辺処という境地になり、すべての視界に無数の理性者を感じる。先にゆくと、自分の周囲だけでなく、遠くの景色、大地、さらに広がり、宇宙全体に無数の理性者を感じる。これが社会期の最終ステップだ。そして、理性存在がすべての空間を覆う。
 
 理性期の末と似る。が、今回は理性的な存在が宇宙全体に無数にいて、それらはネットワークで無限につながっているという景色となる。理性期の末では、無限にあると感じるのは法則だ。この状態になると、次に進む。
 
 瞑想では前は暗いが、後ろか横を見ると、視点が明るくなる。この時に、段階7にあがる。その宇宙全体に広がるネットワーク網が、一つの物の中におさまる(内包される)。一つの物から、放射状に影響力が出るよう見える。ネットワークの無数の線は、太陽から放たれる光のようにみえる。
 
 テーマが変わる。個体の空間における影響となる。個体は物で、なんでもよい。この空間を感じるとは、まずは物から放たれる影響力を感じる。それは段階2の感覚と似る。違いは、物の空間への作用をよく感じるのが、段階7。段階2では、感じるのは熱さや冷たさなど具体的なものだ。似ているがやや違う。この時より、関心は社会から空間にうつる。
 
テーマは空間
 20-21世紀初頭、人類のテーマは社会思想の段階(後半)だった。それが20世紀末になると環境主義とか、空間をテーマにしだした。それと同じ順番だ。都市空間、都市環境、生物空間、生体空間など、社会空間などのテーマがある。段階の前半は理論や認知、後半は実践や作ることだ。
 
段階7 空間
前半 理論 認知
1, 住空間 住む環境
2, 食、飲み物、生物の空間
3, 運動、動作、作業、可動域、行動エリアの空間
4, 通信、声などの社会空間
5, 生体、細胞、臓器、生物の体型の形などの空間
 
後半 実践
1, 家、住、道路、町、都市などの住む空間
2, 単細胞、小動物、魚、両生類などの生態の空間
3, 運動、動作、作業、社会、文明、人類が到達する範囲の空間
4, 通信の範囲、電波、電線、声と音、手旗信号など、社会空間
5, DNA、細胞、臓器、人体、生体の空間。
 
前半は、理論を獲得する。後半は、それを現実世界に実現することを通して、技術を獲得する。
 
無色界
空無辺処 - 虚空の無限性を観ずる境地
識無辺処 - 心の作用の無限性を観じる境地
無処辺処 - 一切のものがないと観じる境地
非想非非想処 - 想が有るでもなく、ないでもない境地
 
無処辺処という境地はどこに?
 段階6末の境地は識無辺処だった。次の境地は無処辺処か? この境地に到達するのは、段階の初期か末期なはずだ。段階7の初期には、個体(物)から放射状の影響力を感じる。何も感じないわけではない。空間が何もないわけではないから無処辺処とは違う。
 
 私はこの段階末の境地に達してなかったので、はじめて今感じてみたが、なかなかにすごい。目前にPCがあり、中の部品が細かにみえる。それが適切に配置されているように感じられる。次に、部屋の中に家財道具が配置されているのが、瞬時に把握できる。だんだんと、範囲が広がり、町の家の配置がわかり、社会の家や道路などの構造がみえてくる。このままどんどんと広がり、宇宙にまで進む。
 
 空間の認識力、物の配置は特にあがる。そして、究極までつきすすむと、空間が、物の中に入り収まる。このあとは物の中に空間があるという感じだ。それを1方向からみる。つまり、テレビを見るようなイメージだ。テレビは2次元の平面だ。次の段階では、その2次元平面の視点を養う。絵画や写真的な視点をやしなうのだ。
 
 というわけで、末期にも空間が消えることは一度もなかった。無処辺処の境地はこの段階にないようだ。もっと上の段階の世界観のようだ。
 
発達心理との対応 22-24才の心理
 社会は19才、大学生のテーマだった。それまで受験勉強で智慧を身に着けたが、それを社会に生かす方法を学ぶのが大学生だった。空間に関心が移るのは、22才だ。1段階をこなすのに3年かかる。22才になると、学生はそれまで社会運動に傾倒していたが、飽きる。都市建築、建物に関心をもつようになる。
 学生時代に社会運動にあけくれた学生が、社会人となって建物や写真など芸術的なものに興味をもつ。これを大人になると自画自賛した人がいたが、それは単に発達心理の順だ。誰でもそうなる。
 
精神は9次元
 この段階の価値観をもつ人は極めて少ない。私が知る限りで、合計3人。理性が満ちており、あらゆる事物を合理的に解釈できる。そして、一つずつの理論が、普遍的である。長期にわたって強い影響力をもつ思想を書く人の段階だ。空間の影響力もとらえられる。
 
瞑想のカリュキュラム
 各小段階を体験したらよいだろう。特に、段階の末で、空間を無限に感じられる境地は面白いので、それを感じてみよう。「弟の力により、段階***を感じさせてください。お願いします。」と思うと、見えない機械がそうしてくれる。
 瞑想でここより上の人は、ここまで落として体験できる。瞑想でここまで到達してない人は、一時的に体験できる。お勧め体験は、「段階初期の停止地点(この段階の精神の人が止まる地点)」と「段階末の無限に空間を感じるところ」だ。
 
まとめ
 この段階は、体験しておくと、空間認識力が高まる。それで、設計をする人は、詳しくマスターするとよい。
posted by たすく at 11:11| Comment(0) | 瞑想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月16日

瞑想の科学 段階6 社会

 前段階5で、理性、合理的なもの、理論、法則とは何かを学んだ。"空"に浸り、自分の中の考えを感じ、点検する。そして、合理的に考えることを学んだ。古い思想は、どの程度、合理的だったのか。そういうことにも関心がゆく段階だった。

 瞑想しながら、そこまで気づかなかった? 気づいてほしいものだ。
 
 今回は段階6-社会を説明する。チベット仏教では『如来部』と呼ばれる。残念ながら、私は如来部の詳しい解説を読んでないので、つっこんだことは言えない。が、如来の手前が『菩薩』だ。段階5-理性-が、菩薩の精神ということは、私の見解と一致する。段階6は如来部だろう。
 
 段階6のテーマはなぜ社会か?
 この前に理性を会得した。いかにして段階6に入るか。まずは理性の末期に到達する。あらゆる世界、空間に理性が存在する空無辺処が目前に広がる。そして、『溶ける』。それが暗くなり消えてゆく。瞑想で、後ろか横を振り向くと、明るい世界がある。そこに入る。何もないので、しばらく探す。しだいに、観察者の私をみつける。私は、前段階の理性を完全に身につけている。理性的自己を外から、客観的にみられるようになった。
 
 私は理性者になった。自分の視野に広がる世界にも、自分のありようが投影される。目を開けてみよう。そこら辺を歩いている人も、理性者にみえる。理性者はだんだんと増えてゆく。遠くの人、近くの人も理性者だ。全員が理性者だ。理性者どうしは、同じ基盤をもつので、通じ合う。お互い無関係ではない。

 理性者どうしは、共感する。目前の人が、自分に何か話しかけてくる。理性者どうし、意志が通じ合う。彼らはコミュニケーションしている。しだいに、いろんな人間の交流の様がみえる。つまり、この段階では、人間のコミュニケーションの手段、社会関係がみえるのだ。この段階のテーマは、社会(理性者が作る)である。
 
 段階6 社会
前半 認知的なこと
1, 命令 こちらの欲求、要望を伝えること
2, 自由 もらった命令を自分が最高の形で行うこと
3, 分類・専門 命令を分類すること、専門的な能力
4, 場所 命令を地域ごと分けること
5, 適性 個性、個人の適性を把握して活用すること 
 
後半 組織、人間関係を作る
1, 命令に従わせる 集権組織
2, 自由をもたせる 分権組織
3, 専門家に任せる 官僚組織
4, エリア別に行う 小集団組織
5, 個人を尊重した関係 個人主義
 
 小段階の説明
 前半と後半はそれぞれ5段階ある。前半は認知で、理論や考え方を学ぶ。後半は実践である。
 段階1では命令(要望)を伝え、相手にやらせることを学ぶ。学ぶとは、それがもっともよく観じられ、みえるということだ。コミュニケーションの基本である。
 段階2では、命令を受けた人は自由にそれを行うことを習得する。本人の能力をもっとも生かすやり方を、当人が自由に考えて行う。この段階で、社会的な制約から解き放たれた自由を真に理解する。
 段階3で命令を分類して、専門の人に任せることを理解する。専門家が結集した組織を官僚組織と呼ぶ。
 段階4では場所ごとに命令を行うことを理解する。地域ごとに組織を作るほうが柔軟に物事ができるためだ。
 段階5では、個人主義を理解する。社会に生きる個人の個性や適性を理解する。段階の末では、個人がすべての社会的な能力を身に着ける。そんな完全な個人を意識する。個人が独立していて、その人間関係を理解する。
 
 瞑想でこれらを感じられるか? 目をつぶっていては、感じられないだろう。その段階になったら、目を開けて、町を散歩しよう。人をよく観察する。すると人間関係がクリアにみえることがわかるだろう。何が強調されてみえるか。それをよく感じよう。社会の仕組みをよく学べる。
 
 社会の発達テーマをもつのは19-21才
 この段階の心理と同じなのが、19-21才だ。前半は社会の仕組みに関心が強い。後半は、自分が社会、仲間と関わることに積極的になる。この年代の記憶を想い浮かべ、そこより下がるなどして、その段階の精神にゆくと、社会に理想をもったり、社会活動に希望をもっていた時期を思い出せるだろう。
 
 仏教との差異、段階6の境地
 
無色界
空無辺処 - 虚空の無限性を観ずる境地
識無辺処 - 心の作用の無限性を観じる境地
無処辺処 - 一切のものがないと観じる境地
非想非非想処 - 想が有るでもなく、ないでもない境地
 
 無色界の空無辺処は理性の末期だった。社会の境地は、識無辺処だ。仏教では、その段階の初めと末期、どちらかの境地だ。段階の初めは、新しい視点が素朴な形で現れる。末期では、新しい視点があらゆる世界で複雑に感じられる。

 識無辺処は、心の作用を無限に観じるので、社会の末期に体験する。見える世界、石も椅子、壁、時計などあらゆる物に、心を感じられる。心とは理性だ。

 2019年の現在も思想区分では、社会思想期の終わりである。現在の社会はもうすぐすると、識無辺処の精神に至る。AI(人工知能)が理性である。人工知能があらゆる電化製品に取り付けられたら、すべての生きたものに理性が備わっていることになり、識無辺処の世界観に近くなる。識無辺処はアニミズムとは少し違う。アニミズムでは、すべての事物に宿る心は原始的だ。が、識無辺処では、その心は高度なのだ。
 
 仏教では、この段階で過去、現在、未来を感じ取るとあるが、今回、みつけられなかった。時間を観じるのは、段階9-2次元に一つあるが。
 
 この段階を超えると、無処辺処の段階7にゆく。それはまたのお話。
 識無辺処あたりは、ブッダが最初の師が到達していた瞑想の段階だ。ブッダがこの境地に満足できなかったのは、理由がある。彼の精神はすでに、この段階の境地よりも高かったからだ。識無辺処は精神では8次元上位である。ブッダは、大日如来となるので、生きて9次元だった。それで、この境地では彼の通常の精神よりも劣るのだ。当然、瞑想で自分より優れた知見を得られると思ったブッダが、がっかりしたのはいうまでもない。
 
カリュキュラム
 段階6-社会の好きなところを体験できる。瞑想でここより上に到達した人は、そこまで一時的に降りる。ここまで到達してない人は、軽く体験できる。体験しても、段階があがるわけではない。
 『偉大なるお兄さん、段階***を体験させてください。』と願うと、体験できる。みえない心理操作の機械がそのように導く。
 
 お勧め
1, 段階末、段階7-社会に入るまで --空無辺処から段階7に入る
2, 識無辺処 -- 賢い人に取り囲まれているような世界観だ
 
 以上
posted by たすく at 10:17| Comment(0) | 瞑想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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