2019年07月10日

瞑想の科学 段階3 悟性・認知

 これまで段階2(感覚)を見てきた。段階2で5感の感じ方、使い方を習得できる。さて、段階3(認知)とは何にだろう。それは、視野に何が映っているかをみわけることだ。ぼーっとみていたら、ただの景色。が、頭を使うと、そこに木があり、家があり、車が走る。それに気づくことである。感覚した『データ』が何なのか。見たもの、聞いたもの、かいだ匂いは何かを知ること、名をつけること。それが段階3の課題だ。

 感覚したものを『定義する』段階でもある。AIが、何らかの写真から、猫を区別するようになることだ。パターンを学習することでもある。これは、時間が止まった中で行われる認知だ。この段階では、動くものをとらえることはメインではない。
 
 瞑想で留意すること。自分の課題、社会や家族、学校、人間関係のいざこざなどは、表面的なことだ。心を静め奥深くに入ると、瞑想で感じられる心の空間にゆきつく。それが、瞑想の段階である。覚醒も、曼荼羅を見るのも、この段階である。
 
 段階3(認知)は感覚したものの意味を識別することだ。見たもの、聞いた音、かいだ臭いが何かを区別することだ。

 これは10-12歳の発達心理の課題だ。10歳頃に、この段階の精神を宿す。この段階で精神の成長が止まるとそれ以降、基礎的な価値観・信条がかわらない。そのため、この段階の精神の人は10歳頃の価値観のまま大人になり一生を過ごす。5-7割近くいる。彼らは快楽志向ではなく、知的だ。『定義する』ことを好む。自分の判断は主観だと思う。多くは小難しいことを好む。が、理論を駆使する頭はない。
 
 この段階の精神は、方丈記など平安時代とは違い、何か知的な趣がある考え方に近い。平安時代は自然を感じることが讃えられたが、この段階では、知的に何かを語ることがよいとされる。自然を語ることが大事なのではなく、何か知識を得ることを好む。
 
 『妙観察智』はこの段階の境地だ。物事を観察して、知識を得ること。仏教の五蘊では、『想蘊』にあたる。この段階の完成は視覚、聴覚、臭覚などを概念にして統一することだ。『全て』という概念を得ることである。
 
この段階は前半と後半が各々5段階ある。前半は、認知の理論。後半は、実践である。
 
段階3 悟性(物事の認知)

前半
1, 視覚 -- 見ているものが何かを区別する。
2, 聴覚 -- 聞いた音が何かを区別する。言葉、音楽など
3, 嗅覚 -- 匂いに名をつける。何の匂いか嗅ぎ分けること
4, 味覚 -- 味を区別すること。甘い、辛い、苦い、おいしい、まずい、食べられるもの
5, 触覚 -- 痛さ、熱さ、冷たさ、圧、ぬれ、乾き、ねっとり、触るなど
 
後半
1, 視覚 -- 見方。近くからみる、場所を変えてみる。遠くからみる。
2, 聴覚 -- 音。近づいてみる、方角を聞き分ける。首を回す。
3, 嗅覚 -- 臭い。力強く吸う。弱く吸う。近づいて吸う。
4, 味覚 -- 毒、よく味わう。軽い舌の上にのせる。
5, 触覚 -- 触る。一瞬さわる。長く触る、手にふれる。頭が熱いなど。
 
瞑想して、この段階の特徴をよく知ろう。そして、この段階の精神の人はたくさんいるので、彼らの視点を学ぼう。
 
さて、精神の信条はどこで止まるか?
 人間はおよそ生理的欲求、感覚、悟性、運動、理性、社会、空間、二次元と8種の信条をもつ。快楽主義者、知的なものを好む物、運動をとらえることが上手なもの、全ては法則だと理解する物、社会的な動きを好むもの、空間の感覚を見極めるものなどだ。彼らは、それぞれの段階の初期で発達心理のテーマをこなせなくなり、そこで精神を止める。すると、その段階の精神に固定される。それが、人の精神の信条や価値観となる。

 この詳しい理論はまた記そう。今回、いったいいつ止まったか。それを明らかにする。透視では、その段階に入ってから、14日と少しである。それぞれの段階をこなすのに365×3日かかる。1195日かかる。これを10段階に分ける。すると、1段階は120日寂。だが、新しい段階に入ってから、わずか14日と少し、精神の成長を止める。すると、それぞれの段階に精神となる。
 
カリュキュラム
この段階の好きなところにゆける。それぞれを感じよう。瞑想の段階がここより上の人は、それを直に感じられる。ここ到達した段階がここより下の人は、一時的に体験できるだろう。
 
『世界のお兄さん、段階"****"を教えてください。』と思うと、感じられる。
 
目をつぶってするよりも、外を歩きながら、世界を感じながら瞑想を行ったほうが、より多くの知見を得られるだろう。なにしろ、この段階は感覚を知識に変えることが課題だ。目をつぶっていていは、何も感じられないから、知識にすることもあまりない。この段階の課題をこなせないのだ。本当に、自分の感覚を言葉にする段階かを、そのようにして、感じながら調べよう。

以上だ。
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2019年07月09日

瞑想の科学 段階2 (感覚)

 瞑想を深めてゆくと、その時の悩み、感情など表面的な意識から離れて、奥深い暗いところにゆきつく。目を閉じると、暗い空間に自分がいて、眼の前が白く光っているのだ。この心の奥入れる人は、段階を進む。
 
 段階1は生理的欲求(食欲、飲み物、呼吸、排便、排尿)をこなした。それらを超えると、第2段階、五感(仏教では受蘊)に進む。一つの段階は、前半と後半があり、それぞれ5段階ある。前半は、認知。後半は体の動かし方だ。
 
段階2 五感 (五蘊の受蘊)

前半
1, 目 光、空間を見る、明るさ、色、周囲を見渡す
2, 耳 音、音を聴く。大きさ、音の種類、右耳と左耳の大きさの差、方角、
3, 鼻 匂い、刺激的な匂い、匂いの強さ、いろんな匂い
4, 舌 味。辛い、甘い、苦いなど
5, 皮膚 痛さ、熱さ、寒さ、圧力、ぬれ、乾き、ねとり、触れ感
 
後半 各部の動かし方(簡易に)
1, 目 見る。回りを見る、まぶたを開ける
2, 耳 集中する、聞き分ける、
3, 鼻 鼻で息を吸う。
4, 味 味わうものを舌に乗せる、噛み砕くとより感じる
5, 皮膚 触れる。いろいろ感じる方法がある
 
 この順で、感じるだろう。後半の動作をかんじるものは仏教でおそらく『無色界』と呼ぶ。しかし、目をつぶった時の見え方(無色界)が大切ではない。目や鼻、耳について動かし方を感じ取ることが大切だ。実際に、動かしてみること。
 
 この段階を超えると、これらをよりうまく使いこなせるか? 理屈ではそうだ。感覚全般について、うまく使えるようになる。が、またあとで上のほうの段階で、細かい使い方などを学ぶ。その時に、より上手に各感覚について認識が進み、より上手に使いこなせるようになるだろう。
 
 この段階に入った時(前半)は、それは6-7歳の精神と同じだ。平等性智を体験できる。それは段階1に入ってすぐ(正確にはこの段階の2/150ほど進んだところ--この根拠はいずれ)に。
 
 6-7歳の子供は感覚を3年かけてマスターするのだ。瞑想で、この段階にあがれたからといって、特に精神的に立派ということはない。7-8割の人にとっては、本人の精神段階よりも下だろう。瞑想の中級者がたどりつくものではあるが、段階としてはかなり下である。この段階では、感覚主義、快楽主義者の精神を学べる。深い悟りはない。この段階と同じテーマは、7-9歳で体験する。
 
  段階に入った時に、最初のテーマが生じるまで、どのくらいわずかに段階を進むか。それはまた今度、明らかにしたい。
 
カリュキュラム 段階2 感覚
「偉大なお兄さん、謎のちからによって、---してください。」と願うとできる。せっかくなので、この段階を感じよう。瞑想でここより高い所に到達した人は、瞑想で体験できる。ここまで到達していない人は、簡易に体験できる。下以外でも、段階を指定すると体験できる。
 
1, 「視覚を体験させてください。」
 そう思うとそれが瞑想の段階がそこにゆき、体験できる。明るい外の光が目からさしてくるだろう。何を見ているのだろうか。
 
2, 「聴覚を体験させてください。」
 視界は暗くなる。耳をすますと、音が聞こえてくるはずだ。
 
3, 「嗅覚の感覚を体験させてください。」
 意識が鼻に集まる。呼吸すると、何かにおう。
 
4,「味覚を体験させてください。」
 舌に力が集まる。何も味がしないことからはじまる。
 
5, 「目の動きを体験させてください。」
 目の周囲の筋肉に力が集まる。まぶたを閉じたり、してみよう。目をキョロキョロさせたり。
 
6, 「**の動きを体験させてください。」
 後半の段階で、テーマとなる目、耳、鼻などの動かし方を体験してみよう。
 
 以上。これで段階2を一通り体験した。これは何度も体験して、覚えておこう。すると、その段階に到達した時に、思い出せる。自分がどこまで到達したかを。
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2019年07月06日

瞑想の科学 段階1 生理的欲求(体内感覚)

 瞑想の段階は、あまりに多い。70以上はあり、90くらいありそうだった。学問的には、全段階を明らかにすることは、重要だ。が、今調査中だ。60段階くらいまでつきとめたが、まだまだ時間がかかる。

私が試みるのは、発達心理との対応である。瞑想を科学的に明らかにする。透視でその段階のテーマを調べる。ある種の機械によって、その段階を感じてもらい、テーマや心に想起するものを研究して、調べる。発達心理は、人間の年代ごとの関心を調べるとおのずと解明される。こちらは科学的に決まる。瞑想という心の動きで、研究しにくいものをそれ発達心理の段階に対応させる。どちらのも脳のテーマなのであるからして、同じなのだ。

先に、はじめの段階を詳しく説明する。

1, 体内の感覚 (空腹 喉の乾き 呼吸の苦しさ )  3-4歳の精神 5次元
2, 体外の感覚 五感(目、耳、鼻、舌、触?)  6-7歳の精神 5次元
3, 認知(悟性) (食べ物、飲み物、酸素…)  9-10歳の精神 5次元
4, 運動(力) (力を学ぶ、運動規則、)  12-13歳の精神 6次元
5, 理性(論理) (空の精神、理性的自己) 15-16歳の精神 7次元
6, 社会 (通信やコミュニケーション能力、社会的地位など) 18-19歳の精神 8次元
7, 空間 (建築、人間工学、生態系、環境、環境の人間への影響) 21-22歳の精神 9次元
8, 2次元 (面、絵、写真) 24-25歳の精神 10次元
9, 1次元 (文章、音楽、声) 27-28歳の精神 10次元
10, 0次元 (直感や瞬間的なもの) 30-31歳の精神 10次元

 瞑想の最初に感じるものは、段階1だ。今回、それを詳しく説明しよう。
瞑想の段階

段階1 体内感覚 - 生理的なもの、生きてゆく上で必須な才能
 前半 感覚、認知
1, 食べ物とは 空腹、満腹
2, 飲み物とは 喉の乾き、水の満腹感
3, 呼吸 息苦しさ、呼吸したい
4, 排便 その感覚、
5, 排尿 その感覚

 後半 実技
1, 食べ方 口に入れる、かむ、のみこむ、喉を通す
2, 飲み方 口に液体を入れる、飲み込む
3, 呼吸の仕方、鼻・口で吸う。
4, 排便 出す。止める。
5, 排尿 出す。止める。

説明
段階1は、生理的欲求をマスターする。この段階で生きてゆく上の欲求ては食欲、飲み物欲、酸素を吸う欲、排便、排尿がある。それが自分でコントロールできるようになる。

仏教では、五蘊の色蘊か受蘊
 この段階は、ピアジュの乳幼児期と対応する。それとの関係付けはまだできてない。仏教のほうは、ラマ教の五蘊(色蘊、受蘊、想蘊、行蘊、識蘊)のうちの「色蘊」の段階である。物質に関わるものだ。

 日本仏教の「色蘊」は「認識の対象となる物質的存在の総称[11]。一定の空間を占めて他の存在と相容れないが、絶えず変化し、やがて消滅するもの(wikiの五蘊より)」とされる。で、肉体的、生理的欲求は受蘊とみなされている。が、ラマ教では、受蘊は外からの感覚の作用ため。

もっと簡単にいうと、五蘊の5つは発達心理のそれぞれ1段階に対応する。受蘊は感覚の段階とすると、色蘊はその前の「生理的な段階」となるため。受蘊が2つ段階を含む可能性もある。

段階の説明
 初心者が瞑想すると、その時の心のテーマがまず思い浮かぶ。今、関心があることだ。それは人間関係のことや自分の問題などだ。そういう表層的なものを解決して、もっと心の奥に入る。すると、その段階のテーマに気づくことができる。
 瞑想がうまい人は、すぐにその段階のテーマに集中して、そこに気づくことができる。その時分の心の喧騒を消して。

 瞑想でとある段階に入ると、新しく感じる。それにはテーマが順に変わる。それを一つの段階と呼ぶ。一つの段階には、前半と後半がある。前半は感覚から認知。後半は実践、体を動かす。一つの段階には、小さな段階が前半と後半にそれぞれ5つある。

段階1のテーマ
 まず前半から。段階1のはじめに、自分の体の欲求が気になりだす。自分の体は何を求めているのだろう。
そして、さっと景色が変わり、段階1の前半、最初のテーマに入る。瞑想では、下記の順に、心が動く。一日のどこまで進むか。小さな段階は10ある。小1段階は、数日かかる人もいれば、何週間とそこにたたずむ人はいる。

前半のテーマ

1, 体(自分)が、食べ物のことを考えていることに気づく。飢えている症状だ。食べられるものと、食べられないもの。何がおいしいか。何がまずいか。具体的に、区別できるようになる。最高においしいものをみつけたら、トンネルに入る

2, 喉が乾く、乾いている。体に水分が足りない。飲み物を体が欲していることに気づく。水だ。川の水、水道の水。口に入れて、飲む。水から口から入ると、体がうるおう。なんだかいい気分だ。おいしい飲み物は何だろう。飲もう。 トンネルに入る

3, 口を開けてないので、苦しい。狭いところで空気が足りない。あまり口が動いてなく、吸ってない。空気がほしい。口からいっぱい吸うと、落ち着く。苦しくなくなる。呼吸で苦しくなくなることがわかる。精一杯空気を吸う。トンネルに入る

4, お腹の満腹感、腰より下が苦しくなる。排便すると楽になる。我慢できない。排便しないといけないことに気づく。ずっと肛門を開けていても、いつでもでるわけではない。一定時間、我慢できることもわかる。トンネルに入る

5, 膀胱あたりが、むずむずしてくる。排尿すると楽になる。我慢できない。排尿するといけないことに気づく。出したい時に出す。我慢して、出す時期をコントロールできる。トンネルに入る

後半のテーマ
後半に到達する。後半は実技だ。その感覚、筋肉の動かし方が意識できる。

1, お腹がすいている。食べ物をみつけた。食べ物を口の中に入れて、噛む。のみこむ。これで楽になる。食べる動作をしだいに覚えてゆく。

2, 喉が乾く。飲み物がほしい。飲み物を口の中に入れて、飲み込む。これで満足する。この飲む動作。口から喉にかけての動かせるようになる。これで楽になる。

3, 呼吸が苦しい。呼吸するために、口か鼻を開けて、吸う。吸う動作を、覚える。

4, お尻あたりが、つまって苦しい。出さなくては。排便の仕方が順にわかるようになる。

5, 尿が溜まってきた。出さなくてはたいへんだ。排尿の仕方ができるようになる。我慢できるようにもなる。

ざっと以上だ。これが段階1で意識して、覚える動作だ。段階1をマスターすると、生理的欲求をこなせるようになる。空腹がわかり、食べ方を身につける。喉の渇きがわかり、飲み方を覚える。呼吸しないで苦しい時に、呼吸することを習得する。垂れ流しではなく、排便と排尿も時分で管理できるようになる。段階1で、生きる基本的なことはマスターする。

 何か特別なことができたわけではない? いやいや、そんなことないよ。瞑想ができたではないか。

 瞑想中に、何を感じているか。正確に、詳しく説明したものは仏教にない。仏教は、断片的に知識として示されている。それを編集してまとめるのは、私の性に合わない。それなら、私は透視を駆使して、研究して、段階の中身をつきとめるほうが早い。まさに感じるものを明らかにした。

 ここでは大雑把に説明している。本当は、段階1の前半1(食べ物)は、もっと細かくあるのだ。段階についての正しい知識を伝えることを優先するため、細かい説明は省いている。もっと細かく完璧な説明にするのは研究がまだ不足で、時間と人数が必要なのだ。

瞑想のカリュキュラム
 さて、カリュキュラムだ。段階1を感じよう。『みえない瞑想の先生、"-----***---"お願いします。』と心の中で思うとできる。瞑想でその段階以上に到達している人は、再びその段階を体験できる。段階1内はどこでも好きなところを体験できる。

瞑想でその段階に達してない人は、簡易に体験できる。簡易な体験では、うっすらと感覚、脳の作用を感じられる。その段階にあがったわけではないので、そこはお間違いなく。

カリュキュラム1, 段階1に戻す
まずはふつうの人の段階に戻す。『一般人の段階1に戻してください。見えない瞑想の先生、お願いします。』と思うこと。すると、多くの瞑想をしてない人と同じ段階1に戻るだろう。これが大事なのは、瞑想しすぎた人は、普段から高い段階になっていて、一般人の感覚、どういう感覚、世界観をもっているかわからない。また段階1は体調管理がしやすくなる。

カリュキュラム2, 前半・食欲の段階を体験させてください。
 空腹の感覚がわかるだろう。少し先に進ませると、何か喉あたりが刺激が生じて、食べたくなるだろう。

カリュキュラム3, 飲みたい、空気吸いたい、排便などそれぞれ体験しよう。
せっかくなので、前半の5段階のすべてを体験しよう。

カリュキュラム4, 後半の食べる動作を体験させてください。
 この段階にすると、口を動かして、噛む動作。飲み込む動作など、体が勝手に動くはずだ。ついでに、残りの飲む、空気を吸う、排便、排尿の動作も感じ取ろう。

まとめ
 段階1 生理的欲求がわかっただろうか。これをマスターすると、食べ方、飲み方、排便排尿などのしつけが出来た3-4歳児と同じだ。瞑想の段階1なんてものは会得してもせいぜいそんなものだ。しかし、段階5からは違い、賢者の精神にふれることになる。お楽しみに。
posted by たすく at 20:28| Comment(0) | 瞑想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする