2019年07月16日

瞑想の科学 段階6 社会

 前段階5で、理性、合理的なもの、理論、法則とは何かを学んだ。"空"に浸り、自分の中の考えを感じ、点検する。そして、合理的に考えることを学んだ。古い思想は、どの程度、合理的だったのか。そういうことにも関心がゆく段階だった。

 瞑想しながら、そこまで気づかなかった? 気づいてほしいものだ。
 
 今回は段階6-社会を説明する。チベット仏教では『如来部』と呼ばれる。残念ながら、私は如来部の詳しい解説を読んでないので、つっこんだことは言えない。が、如来の手前が『菩薩』だ。段階5-理性-が、菩薩の精神ということは、私の見解と一致する。段階6は如来部だろう。
 
 段階6のテーマはなぜ社会か?
 この前に理性を会得した。いかにして段階6に入るか。まずは理性の末期に到達する。あらゆる世界、空間に理性が存在する空無辺処が目前に広がる。そして、『溶ける』。それが暗くなり消えてゆく。瞑想で、後ろか横を振り向くと、明るい世界がある。そこに入る。何もないので、しばらく探す。しだいに、観察者の私をみつける。私は、前段階の理性を完全に身につけている。理性的自己を外から、客観的にみられるようになった。
 
 私は理性者になった。自分の視野に広がる世界にも、自分のありようが投影される。目を開けてみよう。そこら辺を歩いている人も、理性者にみえる。理性者はだんだんと増えてゆく。遠くの人、近くの人も理性者だ。全員が理性者だ。理性者どうしは、同じ基盤をもつので、通じ合う。お互い無関係ではない。

 理性者どうしは、共感する。目前の人が、自分に何か話しかけてくる。理性者どうし、意志が通じ合う。彼らはコミュニケーションしている。しだいに、いろんな人間の交流の様がみえる。つまり、この段階では、人間のコミュニケーションの手段、社会関係がみえるのだ。この段階のテーマは、社会(理性者が作る)である。
 
 段階6 社会
前半 認知的なこと
1, 命令 こちらの欲求、要望を伝えること
2, 自由 もらった命令を自分が最高の形で行うこと
3, 分類・専門 命令を分類すること、専門的な能力
4, 場所 命令を地域ごと分けること
5, 適性 個性、個人の適性を把握して活用すること 
 
後半 組織、人間関係を作る
1, 命令に従わせる 集権組織
2, 自由をもたせる 分権組織
3, 専門家に任せる 官僚組織
4, エリア別に行う 小集団組織
5, 個人を尊重した関係 個人主義
 
 小段階の説明
 前半と後半はそれぞれ5段階ある。前半は認知で、理論や考え方を学ぶ。後半は実践である。
 段階1では命令(要望)を伝え、相手にやらせることを学ぶ。学ぶとは、それがもっともよく観じられ、みえるということだ。コミュニケーションの基本である。
 段階2では、命令を受けた人は自由にそれを行うことを習得する。本人の能力をもっとも生かすやり方を、当人が自由に考えて行う。この段階で、社会的な制約から解き放たれた自由を真に理解する。
 段階3で命令を分類して、専門の人に任せることを理解する。専門家が結集した組織を官僚組織と呼ぶ。
 段階4では場所ごとに命令を行うことを理解する。地域ごとに組織を作るほうが柔軟に物事ができるためだ。
 段階5では、個人主義を理解する。社会に生きる個人の個性や適性を理解する。段階の末では、個人がすべての社会的な能力を身に着ける。そんな完全な個人を意識する。個人が独立していて、その人間関係を理解する。
 
 瞑想でこれらを感じられるか? 目をつぶっていては、感じられないだろう。その段階になったら、目を開けて、町を散歩しよう。人をよく観察する。すると人間関係がクリアにみえることがわかるだろう。何が強調されてみえるか。それをよく感じよう。社会の仕組みをよく学べる。
 
 社会の発達テーマをもつのは19-21才
 この段階の心理と同じなのが、19-21才だ。前半は社会の仕組みに関心が強い。後半は、自分が社会、仲間と関わることに積極的になる。この年代の記憶を想い浮かべ、そこより下がるなどして、その段階の精神にゆくと、社会に理想をもったり、社会活動に希望をもっていた時期を思い出せるだろう。
 
 仏教との差異、段階6の境地
 
無色界
空無辺処 - 虚空の無限性を観ずる境地
識無辺処 - 心の作用の無限性を観じる境地
無処辺処 - 一切のものがないと観じる境地
非想非非想処 - 想が有るでもなく、ないでもない境地
 
 無色界の空無辺処は理性の末期だった。社会の境地は、識無辺処だ。仏教では、その段階の初めと末期、どちらかの境地だ。段階の初めは、新しい視点が素朴な形で現れる。末期では、新しい視点があらゆる世界で複雑に感じられる。

 識無辺処は、心の作用を無限に観じるので、社会の末期に体験する。見える世界、石も椅子、壁、時計などあらゆる物に、心を感じられる。心とは理性だ。

 2019年の現在も思想区分では、社会思想期の終わりである。現在の社会はもうすぐすると、識無辺処の精神に至る。AI(人工知能)が理性である。人工知能があらゆる電化製品に取り付けられたら、すべての生きたものに理性が備わっていることになり、識無辺処の世界観に近くなる。識無辺処はアニミズムとは少し違う。アニミズムでは、すべての事物に宿る心は原始的だ。が、識無辺処では、その心は高度なのだ。
 
 仏教では、この段階で過去、現在、未来を感じ取るとあるが、今回、みつけられなかった。時間を観じるのは、段階9-2次元に一つあるが。
 
 この段階を超えると、無処辺処の段階7にゆく。それはまたのお話。
 識無辺処あたりは、ブッダが最初の師が到達していた瞑想の段階だ。ブッダがこの境地に満足できなかったのは、理由がある。彼の精神はすでに、この段階の境地よりも高かったからだ。識無辺処は精神では8次元上位である。ブッダは、大日如来となるので、生きて9次元だった。それで、この境地では彼の通常の精神よりも劣るのだ。当然、瞑想で自分より優れた知見を得られると思ったブッダが、がっかりしたのはいうまでもない。
 
カリュキュラム
 段階6-社会の好きなところを体験できる。瞑想でここより上に到達した人は、そこまで一時的に降りる。ここまで到達してない人は、軽く体験できる。体験しても、段階があがるわけではない。
 『偉大なるお兄さん、段階***を体験させてください。』と願うと、体験できる。みえない心理操作の機械がそのように導く。
 
 お勧め
1, 段階末、段階7-社会に入るまで --空無辺処から段階7に入る
2, 識無辺処 -- 賢い人に取り囲まれているような世界観だ
 
 以上
posted by たすく at 10:17| Comment(0) | 瞑想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする