2016年02月24日

神の精神は、その脳みそに宿る

こんばんは
 日本語ではあまりみかけない論点かもしれない。が、海外では、このくらい日常的に論じられてしかるべきだ。それを知っている方は、私に連絡を。


本日のお題は、『神の脳みそ』

 認知論という学問がある。脳のどこが、意志を司り、感覚して、運動を行うか。そういう脳の機能を研究する学問である。認識とは何かと究明する。脳科学でもよい。

 今日は、私はその最新の学問を使って、神様を考察する。

 『神様は、全てを見渡し、人の声を聞き、意志をもち、話す。記憶もする。』

 この万人に知られた神の能力。これを否定する者はいないと思う。脳科学は、そんな万能な才能には、どんな脳があるかを明らかにする。

 『神様は全てを見渡す』
 神様は、目をもっている。それに対応する脳は、視覚野である。視覚性連合野ももつはずだ。
 目だけもっていても、神経が脳とつながっていないと、何を見たかも感じることはできない。目と脳をつなぐ視神経が切れてしまうと、神様でもものが見えない。

 視覚野とは、視覚情報を色、形、奥行き、方向、位置関係などに分けて把握する。それらを統合して、画像情報にする。

 なんのことか。見たものの意味を知ることだ。それが視覚野。神様の脳みそには、必ず視覚野がある。神様は目があり、また見たものを理解するからだ。視覚野は、人間の後頭部にある。神様も頭蓋骨のどこかにもっているだろう。

 『神様は人の心の声を聞く』
 そう思われている。音声を理解するには、耳をもつ。神は耳がついている。ついてないと、つんぼである。耳なしに聞こえるかもしれない。が、かわりの耳をもっているに違いない。音声情報(空気振動)を感知するなんらか器官がないと、けっして音は聞こえないからだ。
 よって、音声を認識する脳、すなわち聴覚野ももつ。聴覚野とは、音を言葉や音楽、ノイズなどを区別して、認識する脳だ。言葉は聴覚性言語野で聞く。
 ウェルニケ野は、言葉や文字の意味を理解する機能を担う。
 簡単に、神様は聴覚を聞き分ける脳をもつ。

 『神様は意志をもつ』
 意志をもたない神様は、いやである。キリスト教では、この宇宙を作りもつなかったと考えられるためだ。無気力な神様が何をしたいかもわからない。意志は、前頭野で作られると思われている。神様は、それが発達しているのだろう。

 『神様は話す』
 これは言葉を理解し使えるということと、口を動かせるということである。話す時、脳のどこを使うか。ブローカ野が有名だ。ブローカ野とは、言葉を話したり、文字を書いたりする時の筋肉の運動を担う。前頭連合野にある。
 神様はこれらが鍛えられている。

 『神様は記憶する』
 きっと神様は、人間の過去の善行も悪行も全て覚えている。記憶力が相当よいに違いない。記憶は、海馬が中心だ。神様は、海馬をよく発達させている。海馬のない脳は、それに代替するような機能がないと、記憶しない。

 以上

 整理すると、これまで神様の才能から、脳科学が描き出せる神様の脳を明らかにした。神様は、視覚野、聴覚野、前頭葉、ブローカ野、ウェルニケ野と海馬は、最低もっていると思われる。

 地球の生物、人間とまったくうり二つの形状と大きさとは思わない。が、同等の機能をもつ脳をもっているだろう。神様はそれを頭蓋骨の中に収めているはずだ。

 神様の姿が、脳の中身まで、人間とだんだんと似てきた。神様の精神は、その極度に発達した脳に支えられているといえる。

 精神は形ないものではない。脳あっての精神(心)である。神様も同じ。

以上

posted by たすく at 21:48| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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