2016年03月14日

現代社会論が描く神の真実

こんばんは
たまっていたアイデアをやっと言葉にできた。まだまとまりはないだろう。しかし、心に響くものがあるはずだ。

 社会論で描ける神とは?

 20世紀に人類は社会というものをより詳しく知ることになった。社会主義、計画主義のように中央が全ての国を支配する体制は、脆く、野蛮だと理解した。個人個人が自由にして、そういう自由な個人がある社会のほうが強く、また高度だと判明した。

 これは、コンピューターにおいては、巨大なコンピューター一つが全てを管理するほうがよいのか。それとも、ほどほどに優秀なコンピューターがたくさんあり、分散処理したほうがよいのか、という違いだ。大きなコンピューターが全てを管理するのは、愚かな社会主義の発想なのである。それは、強くも、最高でもない。

 ここまで書いて、勘のいい人はもうわかっただろう。宗教において、この社会モデルは何を意味するのか? つまり、これは神の社会体制についての話である。

 神はより強く、より素晴らしい存在である。よって、社会主義統治型、一つの神が全てを管理するような劣った体制を敷いて、この世界を支配しているわけではない。優秀な自由な個人(霊)からなる社会体制を敷いていると考えられる。

 ここにおいて、神の直接支配という考えが否定される。それは、全ての個人は、神と直接つながっていて、神が全員を統治するという霊と人間のネットワークのことだ。

 神の世界は、最高の社会形態である。

 まず一つ、神と人間の間には、霊がいるはずだ。
 個人と神がつながるという、まるで神の世界に、まったく何も社会がないような状態ではないだろう。神と人との間に、霊がいるはずだ。企業では、社長が全てのお客様に接客することはない。中間管理職がいて、接客員がいる。神と人間の間に、多くの霊が介在するはずである。 個人ごとに担当の霊がついて、それが上の霊につなぎ、という階層性はあるだろう。

 神の命令を、中間の霊がそのまま伝達して、実行するような、集権的な体制でもないだろう。これは巨大コンピューターによる一元支配のモデルである。これは、社会主義者が考えそうな神の世界である。これだと、中間の霊は、何も自由な决定ができない。つまり、それは暗黒の共産国と同じになる。天国が地獄のような共産国ではないことは確かである。霊は、ある程度に、自由に創造することは許されているはずだ。よって、神の国は集権的な独裁体制以前ではないのだ。

 地域ごとに、ある程度の裁量はあるだろう。階層性は持つであろう。
 また専門職が活躍するような面もあるだろう。
 気のあった者達が、グループを自由に作ることもあるだろう。
 個人主義的な面もあるだろう。
 インターネットよりも高度な、情報ネットワークがきっとあるだろう。

 このように現代の社会論をあてはめてみると、神の国の社会体制を描き出すことができる。原始共産制とはほど遠いことは理解できる。あれは、弱肉強食に対する何ら抑制がない社会である。

 そして、神自身の姿も導き出せる。神の国は、巨大な才能が、神の国を一括支配するような、独裁的な生き物でははないということだ。神は、さほど巨大で、何百万人分、何億人分の働きを毎分するような巨大な能力を持たないことが類推できる。そうでなくても務まるからだ。
 具体的には、天国で最高の叡智があるとよい。もちろんそれは、万能で、誰よりも優れていることはもちろんである。が、創造神のような宇宙を作り出し、全てを管理するような途方もない才能は要求されないのである。ここから描けるのは、人間ですら、霊となり、向上すると、いつかはなれるような神である。

 今回、神が巨大脳の怪物ではないことは、明らかにした。また神が人間を直接支配する体制は、おかしいとも明らかにした。
 神と聖霊、霊がよりよき社会を作り、それで神の国は発展していることを予想した。


posted by たすく at 20:55| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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