2017年02月13日

第三の眼を開いてみたところで、何の精神の向上もない

 ここに書くのは、私の現在の認識だ。「次元上昇(アセンション)は起きない」。この結論をひっくり返す根拠はない。

 精神次元の話 覚醒とは?

 覚醒するとはどういうことか? 
 一般的に、覚醒とは第三の目が開き、霊能力を得ることだ。悟りを得ることではない。悟りとは、自分の使命に気付くことが大半だ。仏陀は菩提樹の木の下で、自分が生きて何をするべきかに気付き、瞑想をやめて、彼が悟った真理を広めることにした。

 自分の使命に気づくことは、瞑想しなくても、たいていの人が誰でもできる。自分が生まれた意味、人生での役割、神から与えられた自分の本当の仕事の意味に気づくことだ。職業選択に悩んでいる時に、自分の適性を考慮して、ついに自分が最も向いている職業に思いいたる。答えを得る。悟りとは、このように多くは、自らの天職に気づき、それに邁進する決意をすることだ。瞑想とは関係ない。

 天職、使命を悟るのは、特別なものではない。一部宗教家はそれを神から与えられた仕事という意味で、「覚醒した。」と大げさに感動する。だが、そういうのは瞑想によって到達する特別な悟りではないからして、大事ではない。

 覚醒に憧れるのは、それは霊的なもので、特別な悟り、つまり、霊能力が得られ、神や魔と交信できるようになるからである。それが本来の「覚醒」である。

 覚醒の意味   第三の眼を開くのは、瞑想のどの段階か?

 瞑想の階梯は、ゲルク派の「チベットの死者の書」に詳しい。が、専門家でないと何がなんだかわからない。私は、もっと簡単な指標を思いついた。瞑想の段階と発達心理は対応する。

 「空」は15歳の感情や経験から切り離された「理性」の状態なのだ。これをヒントに第三の眼は何歳で到達する精神かを、つきとめることができる。

 精神の段階を次元で表すことにしよう。空が7次元だ。その上が、社会性の段階で8次元。さらに理性の極みが9次元。空間論的な立場が、10次元。このように発達心理のテーマで瞑想の階梯と対応させると、わかりにくい。

 なんとなんと、10次元のはるか上に「眼の次元」というものがあるのだ。この段階に瞑想で達すると、「第三の眼を開くことができる」

 年齢的には何歳の精神状態かは、よくわからない。が、ともかく「眼」の段階があることはある。詳しいことはまだわかってないのだ。が、今日は、そういうことと理解してほしい。

 瞑想して、心の深くを進むと、やがて「眼」の領域にゆく。この段階にゆけると、「第三の眼が開く」。とはいえ、瞑想は擬似的な精神向上なので、瞑想では精神が10次元にはならない。

 私はこの段階には3-6年前に上がった。確かに、第三の眼が開く。実際に、おでこが開いて、眼が現れるわけではない。その段階で、正面を心の目でみると、横に長い円形の視野が広がる。どこから声が聞こえ、まぶしい光がみえる。鍛えると、透視力と霊聴が身につく。

 この第三の眼をよくみようと、瞬きすると、おでこの左右両側の筋肉が動く。それで、おでこの眼が開いたりするように、感じられる。

 実際には、脳の中から、正面を見ているだけである。おでこを通して、目前がみえるわけではない。そこの視野には、いろんなものが投影される。これが不思議で。自分のみたいものが見える人もいる。

 この覚醒(霊能力の開眼)は、実は、チベットの瞑想では中期のものである。修行僧はほぼ誰でも、この段階に到達する。第三の眼を開いたからといって、さとて、瞑想を極めた優れた僧になったわけではない。開いて、当たり前。優秀なら誰でも、それはできる。ありがたがることではない。もっと胎蔵曼荼羅を見たり、高度な瞑想はある。

 日本人はそういう瞑想の奥義も知らないで、第三の目が開き、覚醒したら、覚者とありがたがる。幼稚である。

 霊能力を身につけることが、何かの役立つ。そう信じ込んだ人のみがやるべきである。私は宗教研究者として、第三の目も開かないでは、格好がつかないから、開けた。が、何の感慨もない。開眼者と同じように、その体験を語れる。それだけが開眼の利点であり、開眼者のステータスなのだ。そういう余得があるから、私は開いても損はないと思うのだ。が、特別に何か身につくわけではない。悟りが得られもしない。

 第三の目を開いたから、透視や霊聴が身につくかは別だ。生まれながらの霊能者もいて、彼らは第三の眼は開いてないが、瞑想家よりもよく見え、よく聞こえる。私は第三の眼を開く前から、透視はできたのだ。第三の目が開いて、ますますよく見えて聞こえるかと思って期待したが、ぜんぜんよく見えるようにはならなかった。私は、がっくりしたほうなのだ。

 覚醒したと、偉ぶっている人たちがたくさん日本にいる。第三の眼を開いても、何ら悟りがないことは、身をもって体験した。それで、第三の眼を開いた程度で、覚醒者となった者が、インチキだとはっきりいえるようになったので、それはそれで、成果はあった。

 そのように宗教界の迷信をひもとくためには、宗教家として尊敬されるには、第三の目は、必須なので、開いておいたほうがよいだろう。か、そんな探求者でないなら、必要はないといっておこう。第三の目をひらなくても、精神は8-9次元になるからだ。覚醒と精神の次元があがることとは、ほとんど関係はないのだから。
posted by たすく at 22:20| Comment(0) | 高い精神の考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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