2017年03月06日

精神次元をあげる目的は?

精神次元をあげる目的は?

 世界中のあちらこちらで、精神向上に励む。仏教徒は仏陀に近づこうとして、キリスト教徒はイエスの精神になろうとして。ヒンズー教徒は高みに入るために。

 私は比叡山の周辺、京都市近郊の枚方に住んでいた。街角に道徳の標語が掲げられ、この地でも叡山の阿闍梨が尊敬された。そんな風土で育ったから、心を見抜く才ある私が、人格を極めようとしたのは自然なことだった。

 多くの求道者の目的はこんなものだ。仏教では、心迷いがとれ、深い洞察をさらさら語り、人格者になり、徳に満ち、大勢に尊敬され、慕われることがかっこよく、それを目指す。瞑想と修業で人格者になれる。が、自身の哲学を根本から変えないと、精神は表面がきれいになるのみで、心のシステムそのものはクリアにならない。

 キリスト教では、修道会に入り、神に愛される人格になり、何一つ罪を冒さないで、天国に入ることが素晴らしく、それを目指す。日本人は、愛を行うことがキリスト教徒の努めと思う。ここでは、キリスト教徒独特の戒律が厳しくあり、精神の向上は望むべくもない。神に愛されることを追求する。

 精神次元をあげると、あらゆる智恵を習得するわけではない
 修業して、悟ると叡智を手に入れる、という迷信がある。神につながっても、そうはならない。宗教家は、現代の科学者ほどに知識はない。彼らはレオナルド・ダ・ビンチのような万能でもない。仏教の最も極めたラマ僧が、あらゆる知識に秀でるわけではない。囲碁、剣道、諸学に、精神家が必ずしも通じているわけではない。

 精神修業とは、精神論を習得することだ。精神が高い人ほど、精神論に強くなる。感情、性善説、性悪説、理性、社会性など、高い者はすらすら答えられる。これらに答えをもたない者は、精神的には挫折しており、そう優れてはいない。高い次元の精神は、唯一、この精神理論が鍛えられる。心理学では、彼らはさえたことをいえる。

 精神が高いと天国で高い世界に住む
 天国には10次元あり、心が合理化された人ほど高い世界にゆける。心醜いと、地獄に長く閉じ込められ、天国に上がっても下にゆく。天国の神々に近いところにゆくことを夢見る修業者は、よいだろう。徳を備えて、神々に愛されるのは、悪くはない。人に感化することもできる。

 精神が高いと即身成仏できる?
 仏教では、死んですぐに仏になる、という信仰がある。生きたまま仏になるのは、嘘である。

 ある日、覚者が決意して、次元上昇して、神になった、というのはありえない。次元の転換は、純粋に物理学現象だ。円盤をプラズマで覆い消すように、特殊な電磁波をかけると、その物体の次元は上げ下げできる。人間には、そんな電磁波を調整する能力もないし、次元移動するための電磁波を放出する技能もない。そんな無知な人間を騙す話である。

 即身成仏は死期が近い坊さんが、地中に入り、水や食べ物をあまりとらずに、修業しながら亡くなることだ。そのまま、ミイラになる。生きたまま仏になってしまった。

 もう一つチベットに伝わるもので、死んだ時に、地獄に落とさずに、天国に霊を飛ばすという秘術がある。死後すぐに成仏するから、即身成仏に似る。私はこれも即身成仏の由来の一つと考える。
 ラマ僧は、心停止の10-15分後に脳が死ぬときに行く先が決まると信じる。天国に自力で上ることができない人には、ラマ僧が手助けして、霊(幽体)を天国に飛ばす。彼らは他人の幽体を飛ばす技をもつ。だが、彼らは天国の位置を正しく知らないし、幽体を飛ばしても、霊はどこにもいかない。
 これはチベットの間違いの一つである。人の幽体は脳死で消える。天国にも地獄にもゆくことはない。本当は、死んだら、地上の霊となる。せっかく、幽体を天国に飛ばしても、地獄にも落ちないで、体の横に本人の霊がいる。幽体をどこかに飛ばすのは意味がない。
 霊能力のあるラマ僧は、霊が死後に体のそばにいると視える。だが、こちらの真実をラマ達は重視しない。成仏したはずの高僧の霊が寺内にひっそりいて、よくみかけることは、修業したラマ僧はよく知るのだが。

 まとめ
 精神次元をあげると、心が磨かれ、素晴らしくなり、精神論に強くなり、天国の高い階層にあがる。が、知識や技能は身につかない。即身成仏もしない。過大な期待は禁物だ。
posted by たすく at 21:25| Comment(0) | 精神次元 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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