2017年04月08日

みなが正しいことをする社会はつまらないか?

みなが正しいことをする社会はつまらないか?

この物言いをする人は、学校をイメージして、実に発想が貧困だ。学校の先生が定める校則。風紀委員や規律委員会が全員の行動を監視して、それをはみだすことを許さない。そんな全員が規則を"正しく"守る社会を想定する。

 確かに、この教師の自己満足で、規則を守ることが正しさの基準となった学校はつまらない。風紀委員は「ルールだから守れ。」の一点張り。校則に生徒を従わせる。風紀委員が厳格になるほどに、自由さが消える。はめをはずすこともできず、縛られ、行き詰まるようだ。そこは退屈でつまらない。

一般的に、規則を守ることが正しい、とする社会はつまらない。校則だけではなく、人権の細かな規則をただひたすら守らせようとする連中が作る社会も、窮屈だ。
 その最たるは社会主義の国家である。不合理な規則を守り、従うと、自由がなくなり、活力がなくなるからだ。彼らは、小さな社会での彼らの独善的な正しさを押し付ける。

しかし、「みなが正しいことをする」と考える時に、こんな学級会のようなモデルを使って、考えることは一般論として間違っている。

 正しいことは、この場合、「規則をただ守ること」に限定されているからだ。しかもだ。その規則には、正しくないもの(理不尽な規則、特殊な規則、不合理なもの)がある。その間違った規則を守る行為は、正しくはないのだ。つまり、規則を守るだけの社会では、全員が正しいことをしているとは限らない。間違いを犯しているのだ。規則が完全に正しいという前提ではないからだ。

「全員が正しいことをする社会」と言う時、規則をただ守る人々をイメージするのは、というわけで、間違いである。校則に縛られた社会は、全員が正しいことをするところではない。日本人はよくそんな物言いをするが、それは「正しい」の定義に反する。賢い人の考え方ではない。

真に全員が正しいことをする社会はもっと自由があり、正しく、喜びあふれているものだ。正しいことをするから、そこでは間違ったことはしない。そこはつまらないわけではない。

社会的な間違いとは、まず犯罪だ。そこでは犯罪者と犯罪がいなくなる。それだけでも社会不安がなくなる。殺人、窃盗、強姦など悲しみがなくなる分、喜びがます。

また過失や失敗も、正しくないことに入る。人がみな正しいことをすると、人はミスを極度にしなくなる。誰も、交通事故をしない。子供が広場でボールを投げ遊ぶ最中に、誤って、ボールを家の窓ガラスに当てて、割ることもない。これはこれで楽しいと思う。なにしろ失敗や過失がないと、人生は成功が増える。実にうれしい。

また人はいつも正しいことをして、間違えないから、試験では全員が百点をとる。実に、教育効果は高く、素晴らしいではないか。みなが完全無欠の秀才になれる。

というわけで、本当に「全員が正しいことをする社会」は素晴らしいのだ。つまらないどころではない。悲しみがなく、人権弾圧の暴虐がなく、共産主義のような間違った国家も消えて、人々がみな自由を謳歌する。
 楽しく、うれしく、喜びにあふれている。これがこの物言いの正しい理解の仕方だ。「正しいことをする」という意味を、正しく考えて、そういう社会を思い描かなくてはならない。

 みなが正しいことをする社会は、理想であって、そこは素晴らしい。退屈でつまらないわけがない。
posted by たすく at 21:24| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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