2017年05月14日

誰かが決めた人生なら、自分に責任はないのか?

誰かが決めた人生なら、自分に責任はないのか?
悪事を犯し、罪を背負う。だが、それがもし運命だとしたら? 彼は自分のせいではない、と言い張ることはできるだろうか。

彼はただ運命に従っただけだ。彼は操られて、それをした。だから、全責任は彼を操った者、彼の人生を計画した者、つまり彼の神、守護霊にある。

理屈としては悪くない。が、犯罪を犯したら、人が罰されるのが、人の世のならいだ。彼は罰されなくてはいけない。

彼が罰されるのも、彼の運命だ。彼の全責任を負う守護霊は、それを願うだろう。

こういう禅問答みたいな話は、ここのメインではない。

彼は誰を恨めばよいのか? 彼の自由度は8%だ。彼は、92%は人生で決められたことをしている。しかも、それは彼に未来を変えられる能力があるという前提でだ。その力がないなら、彼は守護の決めたことをほぼ100%する。

犯罪を犯すのは守護霊が決めたこと。彼は自身の力で犯行をやめることはできなかった。なら、罪悪感をもった彼は、自らの神(守護霊)をのろうべきだ。彼が罪を犯したのは、彼の守護霊の仕業だからだ。

死後、天国に行った時に、守護霊を責めたらよい。その時に、人間の人生をひどいものにした恨みをはらしたらよい。ただし、彼は、守護霊が与えたものを総合的に判断して、守護にそれなりの対応をしなくてはならない。

人生が平均以下のひどいものなら、彼は守護霊を嫌うだろう。が、彼の人生は、一時は犯罪者の汚名を着せられても、ふつうの人以上に幸福で、人類に貢献できたなら、それは守護に感謝する。

彼は守護霊の支配から自由になって、独立できる時が数百年後にくる。その時、彼は守護霊の決めたことに従わずに、自由に行動する。守護霊の監督が嫌らなら、その時を待ちわびるしかない。自分で自分の人生を設計できるほどの才能を早く身につけて。

自分の人生は思い通りにならないが、それは守護霊--数千年前に生きた古い時代の霊の価値観、趣味、嗜好で決まったことだ。古い人間の発想で、作られた自分の人生。それに不満を持つのは当然だ。それから抜け出し、自由に自分らしく生きることが、いつの日かできるのだ。なんと、うれしいことか。
posted by たすく at 22:10| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください