2017年06月30日

『世界はなぜ「ある」のか?』(ジム・ホルト、早川書房)の感想 その8 -- 15章は、無への回帰

『世界はなぜ「ある」のか?』(ジム・ホルト、早川書房)の感想 その8 -- 15章は、無への回帰

死んだら、無になる、という話。彼は西洋哲学の死についてのいろんな説を紹介する。
この章で大事と思うのはひとつ、「哲学者の誤謬」だ。哲学者が陥りやすい間違い、哲学の間違いという意味だろう。フロイトやゲーテが「死」を想像できないことが、それらしい。が、ジム・ホルトは死を想像できないことはおかしい、と考える。人は死ぬ。それを考えられないのは明らかに間違いだ。哲学者らしい間違いがいくつかある、と西洋人は考えていると私は初めて知った。

ジム・ホルトは、死んだら、霊になるという話に不安を覚える。彼は死ぬと無になる、と彼はまず考える。確かに、死ぬ時には、肉体の感覚と思考がしだいに止まり、自己は消えて、無になる。

ここに異論はない。ゲルク派の「チベット死者の書」には、死ぬ時に、どんな順番で、自己の感覚や機能が一つずつ停止するか。詳細に書かれてる。そうやって、人は死に際して、世界とのつながり(感覚経路の機能停止のこと)をなくし、最後には自己も消えて、無になる。

彼はこれが怖い、恐ろしいという。これら無になるプロセスは自覚するかはともかく、誰でも体験する。心臓が止まり、臨死状態になる。それから脳がゆっくりと15分かけて止まる。肉体的な存在としては、無になる。当たり前のことだ。人は、これが怖いのは、当然だ。ご老人であの世を待ち遠しく思う者以外は、死を恐れる。

その後、霊となって、霊として意識が戻る。

で、こんな無になる話を彼流に書いた後、母が亡くなった話をする。実際に、死とはどういうことか? を記したいのだろう。

 母の死という体験で終わらせたのは、哲学者らしくない。哲学者なら、そこもややこしいものいいで語るべきだ。ここからわかるのは、彼の「哲学」は貧弱で、死以降のことを語ることはできないことだ。

さて、ここを読んで、私は一つ疑問が浮かんだ?

 死ぬと霊になるといっても、その時に、自己が同一かどうかは、論点がある。肉体の自己と、霊体の自己。その2つに連続性はあるものの、同一の存在なのだろうが、厳密にそうなのか? 

 死後に霊が分離するから、生きている肉体には自分の霊が存在する。生きている時に、肉体の私と霊体の私は一体化している。で、死ぬと、霊体が分離する。

 脳の大部分が停止して、分離して霊となる。それは、肉体の自分と同一といえるのか? 両者は構成物質が大きく異なる。大きな変化だ。肉体の自己が霊となった時に、それは同じ自分といえるのだろうか。これは哲学的にも、大問題なのである。

 物体としての脳から、霊体としての脳への移行の時に、自己は継承されるのか? という問題。いつか、明らかになるだろう。

posted by たすく at 22:17| Comment(0) | ジム・ホルト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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