2017年04月25日

念力は手品、常識だよ。

 念力は手品、常識だよ。

 超能力にはいろんな迷信がある。人間が明確に知らない。その隙(知識の欠如)を突いて、嘘が出回る。本当に困ったことだ。

 念力は私ができないし、念動はやっている人が中国人で怪しい。超能力で物品を何もない所から出すのはインドや東南アジアにあるが、手品で、インチキだ。

 スプーンまげもトリックがあり、念力や超能力というのはどうかと思う。念力をまじめに語るのは疑ってかかろう。人間のする念力(念動のこと)はすべてトリックがある。念力を超能力として、とりあげるのは、正しくない。

そんなこんなで、念力は超能力ではなく、手品、トリックだ。常識だよ。神様がこんな初歩的なことを間違えるはずがないよ。
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2017年04月18日

相性のよい人とは 具体的に

 相性のよい人とは

 私の友人をもとに、相性とは何かを考える。

 まずは、近所にいた女性の幼馴染。気が強くて、男にも果敢に立ち向かい(私はあまりみてないが)?、悪いことは基本的にしない。あっさりした性格。私とどこが似ているのかわからないのだが、気は合った。信じ合える人である。元気であることが一番ということが私と同じだ。

 次に小学生の男の親友。彼は活発で、活動的だ。何かと遊んでいる。いろんなことをやっている。頭も悪くはなかった。親友である。サッカーなど好きな遊びが似ていた。ちょうど社交的な度合い、遊び好きなところが同じ程度だった。あと、大阪は天王寺が最も強い人がいてなど、枚方に暮らす者としての社会観が似ていた。あまり政治などは興味なくて。

 高校では、小学校の同級生から、お前に似たのがいると紹介された別の高校の男子が友達。囲碁をしていたし、温厚で、優しくもあり、似ていたかもしれない。今は、たまに会っても、あまり話すことがない。

 大学では、へんな兄さんをみつけたのだ。私よりも顔はよく、いい笑顔だ。なかなかタフなので、いろいろ出かけた。が、残念ながら、何を話したのか覚えてない。タイプは違うのである。私は学者肌で、彼は事業家タイプなのだ。彼は私の扱いに長けていた。私も彼のやりそうなことはだいたいわかった。わかるというのは大切である。わからない(私がこりゃだめだな、と思うような)ことばかりするのとは、つきあう気がしない。

 大学では、会わなかったが、私と発想が似た女性はみかけた。哲学が私に近い。理性的で、正しくあり、なおかつ強いこと。弱さなど気にも留めない。彼女は遠くにいた。向こうは私が同類と知っていたが、相手をする気はなかったようだ。が、年をとると、いつまでもそんな片意地張っていたら、友人ができないと気付きはじめたようで、私に関心があるような噂をきく。

 最後、これから出会う女性。私の擬態に最近まで気づかなくて、私を遠ざけていたが、それでは幸福を逃すと決意したようで、私に寄付をくれることから私に近づく。彼女は私にとって生まれてから、ずっと好きなタイプで、ショートカットが似合う利発でスポーティーな女性のはずである。主婦歴が長く、その時、本来の性格はかなり潜めたかもしれない。が、通じるところがある。

 彼女の友人と親戚は、私と彼女はよく似ている、という。理に聡く、自分をもっていて、はちゃめちゃなのだ。好き勝手にしていても、うまく物事が運ぶというところが。生き方のスタイルとして、上質なところも。

 性格の一致、気が合うことが、相性のよさである。相性がよい者を、親友と呼ぶ。これは、ジャンルごとにたくさんいる。それぞれに共通点は異なる。その話はまたあとで。
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2017年04月17日

相性とは

 相性とは
 相性は、男女、親子、友人、師と弟子など人間関係の好悪をさすものだ。

 相性がよいと親しく、信頼して、親密になる。相性が悪いと、相手に反発する、嫌う、不満を相手にもち、信頼しない。

 相性がよい人は、共通の価値観・信条をもっている。例えば、同じ趣味どうしは仲が良い。同じ政治スタイルでも、気が合う。相性とは、意見の一致が大きな原因だ。相反する価値観が話すと、反発しあい、お互いに疑いあい、信用しない。

 価値観が違う場合でも、相性が必ずしも悪いとは限らない。日本人と外人は、考え方が違うが、相性が悪いわけではなく、気が合う者たちもいる。

 ある信条(目標)について、一致する場合
 人間は趣味に生きるのがよいと思う人達は、こういう文化志向の人達は相性がよい。趣味が、絵画や彫刻など違いは、そう大きくはない。絵画好きと音楽好きが決定的な人間関係の亀裂になることは、あまりない。

 男女は、生き方が違うが、相性がよいと認め合う。細かい価値観が違う時、それは最初に問題にならない。が、話すうちに「その違い」がしだいに重大になる。すると、両者のつながりはなくなる。

 相性が悪い時、相手の行為が、嫌がらせと感じることが多い。自分を否定するとも感じる。相性の悪い者たちは、自分の価値観と反対だ。それは直感的に感じる。普段は、日本人の間では、明確に価値観の違いが現れない。物をはっきり言う人々の間では、相性の悪さは、言葉に両者の違いが明らかになりやすいのだろうが。つまり、相性が悪い相手は、自分の中にある奥深い価値観を否定する。

 心の許容度と相性は関係する。狭い心の人ほど、合わせられる人が少なく、相性がよい人が減る。多様性を認める人は、つきあえる範囲が広がり、多少の価値観の違いに反発することはなくなり、相性の悪い人は減る。アメリカでは、こういう寛容性が一部に求められる。

 だいたい相性の好悪は、生き方の違いから生じる。日本で相性が悪い相手でも、海外では相性が悪くならないこともある。例外的なことだ。それは海外では、生き方の優先順位が異なり、それぞれの立場が変わるからだ。

 以上が基本的な相性に関する話だ。

 相性のよい人とは、生き方の基本的な価値観が似ている人である。相性の悪い人は、それが多くの点で、対立する信条になっている人である。そして、両者の価値観が決定的に、わかりあえないとされる場合は、ずっと反発しあう。お互い融和することができる、和解できると思われている事柄なら、わかりあうことができる。もちろん、相手を認めるという単純なことだ。その時の関係は、対等ではなく、より正しい信条のほうが上で、より悪い価値観は下に位置する。両者はそんな人間関係に最終的になる。

 この相性というものが、恋愛にどう作用するかは、またの話。その前に、相性を決める「当人の信条」とは何か? それを明らかにしなくてはならないだろう。
posted by たすく at 18:12| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする