2017年07月04日

万能になることは、人の最初の目標--専門分野だけでは狭量だ。

理数が得意で、文系が苦手。芸術やスポーツの才能はあまりない、は人間として正しいか?

 寿命が80年と短い間は、全能力を高度に発達させなくても、人格者になれる。が、未来で、科学も進歩して、寿命が200年、300年と伸びると、その間に多々学べる。学問が発達して、現在では習熟に困難なものも、わりと簡単に習得できるようになるだろう。

 そんな200才、300才も人が長生きする文明では、数理工学は一通り学ぶ。文学(情報学、会話、小説)も全部は、習得する。芸術も一通り、絵画、彫刻、音楽も身につけるだろう。スポーツも何百年と健康で、ある程度できなくてはお話しにならないだろう。今でいう万能が、大人の最低要件となる。

 専門分野だけの才能で得意がるのは、実に、狭い人間ということになる。

 人間は死んだら、その後は、あの世で学ぶ。同じように、今身につけなかったものは、早急にあの世で、学習して、会得する。500年あると、あらゆる学問は一通りマスターして、芸術全般をそれなりにこなせるような万能に近い人格になれる。

 しかし、はっきり言う。これは、霊界ではごくごく初期の達成ノルマだ。何千万年と生きる霊達にとって、数百年しか生きてないようなのはひよっこだ。我々、人類はその生まれたての赤子に等しいようなのにも及ばない。

 万能は、必ず目指さなくてはいけない。しかも、それは初歩的な目標である。人格の標準的な完成という最初の目標である。専門分野だけで、十分と思ってはいけない。

 その上があるのだが、それはまた調べてからかくことにしよう。

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2017年06月25日

『世界はなぜ「ある」のか?』(ジム・ホルト、早川書房)の感想 その6 プラトン主義(イデア論)=「概念」で、認識論の範疇

『世界はなぜ「ある」のか?』(ジム・ホルト、早川書房)の感想 その6 プラトン主義(イデア論)=「概念」で、認識論の範疇 

 この本は、「9章 幕間 多世界への一言」で、世界が無にならない答えがほぼ出た。一つの宇宙なら、最後になくなるという理論が間違いだから。多宇宙なら、けっしてなくならない。すべての宇宙が一斉に消えることはない。それで、宇宙はけっして無にならない。それを恐れることはない。これが主題--世界がなぜあるのか、逆に言うと、世界が未来永劫にけっしてなくならないことへの答えである。

 それ以降は、「10章 プラトン主義の意見」など哲学者や現代思想家が好むテーマはおまけだ。

 プラトン主義とは、イデア論のことで、概念を信じる人達のことだ。概念とは、人が世界を認識するために用いる簡易な構造(パターン)。

 サー・ロジャーが、1, プラトン的世界 2, 物理世 3, 心的世界がある、と世界を3つに分けた。ジム・ホルトはそれにいくつか西洋流の反論をした。私は、このプラトン主義に対する一般的な反論法は知らないから、新鮮だった。

 プラトンの古典哲学の迷信みたいなものに、いつまでもとらわれている西洋人が少なからずいるのは、不幸である。プラトンのイデアは、「概念」であり、認識論の一つ。それをプラトンは当時の人がわかる範囲で、ギリシア風に定義した。プラトンのそのあいまいなイデア論に全部に、現代人がつきあう必要がない。

 現代の分類では、プラトンのイデア論は認識論で、心的世界なのだ。別個にするのは間違い。これらを理解できない西洋人がまだいるとは… 

 西洋にはいくつかの不合理な哲学があって、その一つがキリスト教神学の「創造神仮説」ともう一つが「イデア論」だろう。それにいちいち回答を出すのが、西洋哲学者の努め。この章でそういうことはわかった。
 
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2017年06月22日

『世界はなぜ「ある」のか?』の感想5 「神が宇宙を作った」への彼の反論--ビッグ・バンは宇宙のはじまりでない

『世界はなぜ「ある」のか?』の感想5 「神が宇宙を作った」への彼の反論--ビッグ・バンは宇宙のはじまりでない

本当の宇宙は多宇宙だからね。ビッグ・バンはその全てのはじまりでない。

 神が宇宙を作った、という証拠が何一つないにもかかわらず、キリスト教徒達は創世神を信じる。西洋では、これに対する意見を言う決まりがあるかのようだ。彼も、これに言及する。

 彼は、面白いことを指摘していた。

 「創世記では、神は世界を無からではなく、「形なく、むなし」い地や水の混沌状態から創造した。」36頁

 彼によると、旧約に立ち返ると、ビッグ・バン理論と創生神話を重ねることは、間違いである。ビッグ・バンでは、ほとんどゼロに近い状態から、極小の宇宙が育成され、一気に巨大化する。そこに、「地や水の混沌」はない。神学者が、ビッグバンから宇宙を神が引き起こしたというのは、創世記の話と大きく食い違うのである。

 神は、混沌とした地面と水からこの陸地と海からなる世界を作った。創世神話を忠実に解釈すると、宇宙を作ったとは書いていない。

 彼が言いたいのはここだったろうが、省かれている。信徒達が恐ろしかったのだろうか。

 彼によると、

 「紀元二、三世紀ごろに教会の聖職者達は斬新な宇宙進化論を提示した。世界はその源となる既存の材料なしに、創造主たる神の言葉だけで呼び出されて存在するようになったと、彼らは宣言したのである。」36頁

 12-13世紀のユダヤ人哲学者のマイモニデスも「神は無から世界を創造した」と述べた。

 神が宇宙を作ったという説は、後世の聖職者や神学者の解釈である。聖書には神の言葉があるが、そこにはなく、神がそういったわけではなさそうである。

 だが、現代人の信徒達は、なぜか創世神話よりも、聖職者達の言葉を信じる。「神が宇宙を作った」と。これは天動説を昔の人々が信じたのと似ているのだが。

 彼は、神学者達が創生神話を科学的に裏付けるものとしてビッグバン理論を利用することを茶化す。

 「(ビッグバン理論が確かだと証明されつつあった時、) 聖職者達は喜んだ。聖書による創造説の科学的証明が、棚ぼたで手に入ったと思ったのだ。」46頁

 『ローマ教皇ピウス12世は1951年にバチカンで会議を開き、次のように宣言した。宇宙の紀元にかんするこの新しい説は「原初の御言葉『光あれ』を裏付けるものとなりました。それが発せられた瞬間、無からにわかに光と放射の海が物質とともに現れました…… ゆえに~創造主はおられます。~神は存在しておられるのです!』46頁

 で、彼はこのビッグ・バンが、神の存在証明になるという教会の見解にどう反論したか?

 本を読んだ時に、どこなのかメモしなかった。今探すとみつからない。最も反論になっているのは、ここだ。

 「もちろん、たったひとつの宇宙があり、その創造主がいるという推測は、数え切れないほど多い何十億という世界(宇宙)があるという推測よりも、極めて単純で容易に信じられる、とガードナーは書いている。そうだろうか?」280頁

 要は、そんな解釈は「単純」と彼は言ったのだ。残念ながら、肝心な反論はわかりやすく書かれてはいない。

 私がかわりに書こう。

 より多くの学者に支持されている現代宇宙論では、宇宙は一つではなく、たくさんある。多宇宙こそが、全宇宙である。宇宙は、無限に我々のような宇宙が含まれる。

 我々の住む宇宙がビッグ・バンで発生した。が、その瞬間から、宇宙全体が発生してはいない。よって、ビッグ・バンを宇宙(多宇宙)の始まり、とする考え(創生神話の現代版)は間違い。

 なお、多宇宙全体の始まりはまだみつかっていない。

 我々の宇宙のビッグ・バンはすべての宇宙の始まりでなかったのだね。だから、そこを全宇宙の原初としてはいけなかったんだ。バチカンは、間違えたね。
posted by たすく at 22:49| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする