2017年09月11日

愛はすべてではない。精神の一面にすぎない その論証

愛が全てではない

最近、「愛がすべて」と言い切って、何か優れた精神論を語ったように得意がるのには、がっくりだ。愛とは夫婦間にあるもの。恋人を愛でること。そんな一面的なものが、精神の全てとは、拡大解釈もひどい。

もし、そんな愛情に満ちた世界が、宇宙全体に広がるなら、それはそれで本人たちは幸せかもしれない。が、愛がすべてなら、愛がないところは無なのだ。そんな愛を受けない者は、存在価値がなく、この宇宙から消えてなくなることになる。

 愛というものは、この宇宙に存在するものの関係性の一面でしかない。愛は人間関係のあり方の一つだ。愛とは人間関係論だ。人間関係にいくら巧みでも、それが生き方のすべてではない。

 愛は人に付属するものだ。人あって、はじめて愛がある。人がなく、愛が先にありはしない。愛は、人やものなどなくては存在できない二次的なものなのだ。愛が全てではないのだ。愛が全てという考え方は、この例からも失敗している。愛をすべての事象に適用することは無理がある。

愛が全てという言い方はどこからくるか? 
それは特定の精神論を、全ての状況にあてはめてみようとする試みである。例えば、「人間は成長が全て」、「正しさこそがすべて」、「生きることがすべて」と言うこともできる。日本では、愛の論だけ発達して、「愛が全て」という言い方には慣れ、他には違和感があるかもしれない。

 しかし、「成長」、「正しい」、「生きる」は、それぞれ精神論で基礎的なものである。各論を拡張して、そういう見方もできる。「愛」だけが特別ではない。

 愛が全て は本当か?
 愛とは、自己愛、恋人、親、子、社会、人類、生物などにあてはめることはできる。地球愛といっているのもいる。欲求ある者には、何かを与え、それを満たすことも愛だ。自己犠牲なども愛だ。教育もある意味、愛だ。

このように愛をもって行動するのは、男女や人間関係の愛情を重視する人にとっては、素晴らしく思える。愛は、欲求を満足させることが基本だ。愛を行う時は、一つ一つの欲求を満たすこと。その部分が強調される。が、全てではなく、ミクロ的な部分なのだ。

愛ある場所では、本人はいつも満足、愛情を受け、幸福感に包まれる。それを優先する。愛は、幸福を目指すことに偏る態度ともいえるのだ。愛をすると、成長するとか、正義や分別、善悪を区別することが身につくとか、学力がつくという話ではない。女性は夫の愛を求め、家庭をつくり、子供を生み、幸福になる。が、大きな人間にはならないのは、こういう理由だからだ。

愛に専念すると、他の精神面がおろそかになる。正義や善悪を徹底はしない。愛の宗教であるキリスト教では、善悪の観点が弱く、悪魔という悪の極致がなぜかいまだにのさばる。また正義も独善的になりがちで、共産主義みたいなすぐに悪と区別できるようなものも、台頭した。

また、愛は自分周囲の人間関係を良くすることに努力しやすい。が、社会全体をよくしようとする意欲は湧きにくい。国家愛や人類愛は、個人主義の西洋ではあまり根付かなかった。

愛をする時は、与える側になる。教育する側になる。すなわち、愛を行う本人は自分の地位が相手より高いと考えがちになる。何も学んでいないのに、そう思いがちだ。愛することばかり考えると、学ぼうとはしなくなる。向上心が低くなる。成長の意志が低い。自己愛は弱くなりがちなのだ。

このように、愛を最高の精神論にすると、善悪と正義、成長心、社会性が低下する。正義や善悪などの分別と社会改革が弱く、人に分け与えることだけが好きな成長しない人間となる。

もともと、愛は精神論の一つ。精神の一面でしかない。それを全体に適用することに無理がある。愛に偏ると、以上のような欠落が生じる。

実は、愛の人には結末がある。愛を志す人特有の弱点で、彼の成長はしだいに鈍くなる。。どんどんランクが落ちる。やがては、特定の精神に矮小化される。一つはっきりといえることは、「成長」を重視する人に、愛の人は勝てない。

愛は精神の部分論だ。愛が精神、生き方の全てと思わないほうがよい。愛を総合的な精神論だとは考えてはいけない。愛だけを実行したら、人間は成長できると思わないほうがよい。
posted by たすく at 21:46| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月28日

優れた精神論は上から順に、『究極、最高、完璧、完全』、『成長、発展、発達』、『正しさ、正義』、『よいこと』、『愛』

 より精神的になろうとする時、精神で差別化する時、何が大事だろうか?
 
 自己愛は、自分を欲求を適切に満たすということになる。過度でも過小でもなく。さて、これは何の精神理論か? むさぼるなという話、欲望はいけない、という話となる。
 
 正しくあること。これを実践すると、人よりも優れることは確かだ。間違ったことをしないよう心がけると、人は正しい方法を学び、正しく行動しなくてはならない。それはその人の能力をあげる。
 
 成長することを目指すこと。低い成長を嫌い、高度成長を目指す。実に、文明が発展する。人は大きくなれる。成長を目指すことは、大事だ。
 
 愛すること。人を愛するのは、よいことだ。が、自分を大切にしない傾向がある。幸福を好みすぎる。愛してばかりしていると、人間関係はよくなる。それは小さく幸福な社会を作り出す。それはそれで、幸せだろうが、大きく精神は成長しない。
 
 よいことをする。これは大事だ。いつもよいことをしていると、どんどん自分の技能があがる。善行をするは社会的には大切だ。自分は毎日よりよいことをする。それで、の自分の成長も起きる。社会もより発展する。
 
 究極、最高を目指すこと。完璧であろうとすること。これは精神的に欲張りな人たちで、最も成長する人種だ。一番を狙うこと。目標を達成したと本人が思った時に、更なる高みを見いだせないと、成長が止まる危険性はある。が、それさえ、解決できると、この人種はどこまでも早く伸びる。社会も最高に発展する。
 
 今日は、この4つの精神を見た。『愛』、『正しさ、正義』、『成長、発展、発達』、『よいこと』、『究極、最高、完璧、完全』。
 
より優れて本人と社会を成長させるのは、順に、『究極、最高、完璧、完全』、『成長、発展、発達』、『正しさ、正義』、『よいこと』、『愛』である。
 
 このように、文明と個人の発展を犠牲にしてまで、あなたは、愛(自分の幸福)を貫こうとするつもりだろうか?
posted by たすく at 22:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月08日

永遠を生きる時の幸福論

永遠を生きる時の幸福論

前回のは、特定の視点にこだわった。今回は、もっと全体的な観点から述べる。永遠を生きる時、霊となった時に、どうすると幸福を高められるか?

まずは、人間が幸福になる条件を満たすことは当然だ。異性とのセックス、家庭があること(夫婦、霊界では子供は大人の年齢なので同居しない。)、夫か妻が共にいること(あの世では恋人は二の次)、社会的に充実した仕事をしていることだ。

こういうわかりきったことでも、人の世とあの世とは、若干の違いがある。それはまた今度説明する。 あの世では、苦痛や病はすぐに治療する。圧政などもない。そういう幸福が当たり前にある。その上で、何を求めるか? するとこういう要素が大切となる。

さて、あの世で幸福になるには、1,高い才能、2, 豊かな人間関係 3, 愛すべき伴侶 4, 子供達(分身) 5, 仕事を共同して行うグループ 6, 良き指導者がいることが必要だ。

1,才能が高いこと
なんでも名人であること。芸術、学問(技術、理論)、政治、運動で能力が高いこと。絵が下手では、絵を書く喜びがない。政治の才能がないと、統治する喜びがない。絵画をかく欲求、音楽をする欲求は人にある。それらをたくさん満たせる人ほど幸福だ。

2, 人間関係が豊かなこと
あの世でも、友人(近く、遠く)、親族(魂の)などがいる。同系も。それらが濃密で愛が強い関係ほど幸せだ。誰も友達がいない人はあの世ではないが、少ないとこの社会的な喜びが小さい。なお、人間の親族関係にあの世で再会して、そこに過大な安らぎを期待する人が多い。が、それは、最も親しい間柄ではない。

3, 愛すべき伴侶 
生きている時に、結婚した相手でない人のほうが多い。そんなすれ違い、わかりあえない夫婦ではなく、真に愛せる相手だ。赤い糸がつながった相手だ。あの世で初めて会うのも多い。生きてそういう人にめぐりあい結婚する人も中にはいる。それがあの世でも続く。
なお遺伝子上、男性のほうが多く生まれる。すると、あの世では、幾人かの男性には、真に愛せる相手がいないことになる。この問題をあの世でどう解決しているかは、はっきりと知らない。推測では、あの世では女性を多めに生み、育てている。それで男女の数を揃えているのではないか。

4, 子供達(分身) 
これはお腹から生まれる子供ではない。遺伝上の子供ではない。夫婦の間に生まれる子は、他の霊の分身である。自分が守護霊となって、人生を計画して、育てあげる人物のことだ。自分と性格がそっくりで、自分のグループの一員として、働く。この数が多いほど、あの世で仕事が楽になる。この一族は、人を指導する時に、同族がよく代替する。

5, 仕事を共同して行うグループ
ある時代に人間の子供を一緒に育てるグループをさす。大きなソウルグループと分類されるものだ。霊界では、みな友達となる。親族を担当する係、友人を担当する係、会社や職場に一緒にいる係、教師などの係、ソウルグループの係などいる。一生の間に、自分が巡り合い、関係をもつ人の何倍かはいる。およそ800-3000人以上はいる。いつも同じ面々が人間を一緒に育てることになる。ここの社会はお互いが親しい。ここで楽しく、活動できることが大切だ。

6, 指導者
天国でも、自分を教える教師はいる。よき指導者が山ほどいる。教えを受ける時は、幸福である。学校などで、個人指導を受ける時は、うれしいものだ。この指導者がいる人ほど、幸せだ。良き指導者がいないと、本人は成長できなくて、取り残される。悔しくつらい。

このように、自分の才能があり、社会関係が豊かで、同じ仕事仲間がいて、友人たちや魂の同類がいて、愛する者がいて、自分の子どもたち(分身)がいて、良き指導者に教え導かれる。そういう中で、幸福を保つ。このすべての面で、とりわけ優れると、幸福が最大化する。

 あの世は進んだ社会で、個人が幸福なのは当然だ。が、さらに幸福になるために、人はみな努力する。やはり周囲より劣るのは、つらいのだ。そうならないようにしたい。
posted by たすく at 22:57| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする