2017年06月21日

『世界はなぜ「ある」のか?』(ジム・ホルト、早川書房)の感想 その5 セレクターと10次元との関係?

『世界はなぜ「ある」のか?』(ジム・ホルト、早川書房)の感想 その5 セレクターと10次元との関係?

 彼は、パーフェットとの会話の中で、多宇宙説を語る。

『ありうる宇宙の中で、なぜこの宇宙は存在するのか?』375頁

 彼は、粒子は確率的に存在するという量子力学の法則をもとに、宇宙はあらゆる可能性があると考える。

 ある元素、粒子が支配的になる宇宙は、どの程度の確率か? 私達の宇宙のような粒子構成になるのは、どういう確率か?

 という疑問が浮かぶ。で、彼は、セレクターという概念を出す。宇宙は、無限の種類のものがありうる。が、存在する確率が多いものによって、セレクター分けされる、と私は理解した。

 競馬でもよい。1等になる馬は、だいたい予想できる。2等になる馬もだいたい予想できる。とはいえ、それは確率的に決まる。

 1等になる確率が20%の馬が4頭いるとする。それを競争させると、1位がそれぞれの馬になる、という大きく4つの結果が出るだろう。それをセレクターによる区分と私は理解した。

 宇宙も同じで、発生する確率が1-2割という高い粒子構成のものが、4種あるとする。すると、宇宙は4つできやすい。これをセレクターの分類と彼は呼んでいるはずだ。

 これはひも理論の概念なので、ひも理論に詳しい人が説明してくれたらよいのだけど。

 で、ひも理論によると、宇宙は10次元あるという。10種類の高い発生確率の宇宙がある。それが一つの宇宙に同時にしえる。それぞれの次元は、素粒子の構成が違うはずだから、法則が微妙な異なる。

 これは容器にドロと水と氷を混ぜて撹拌すると、3層にきれいに分かれるようなもの。宇宙は、それぞれの次元ごとに、きれいに仕上がる。やや違うのだろうが。

 この場合は、可能性の違う宇宙でも、時空が異なる宇宙でもないのだが。私は現在、セレクターをこのように理解している。ここは、あまり正確とはいいがたいかも。
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2017年06月20日

『世界はなぜ「ある」のか?』(ジム・ホルト、早川書房)の感想 その4 彼は、自己と世界とのつながりをうまく考察していない


『世界はなぜ「ある」のか?』(ジム・ホルト、早川書房)の感想 その4 彼は、自己と世界とのつながりをうまく考察していない

 彼の認識不足による。古今の哲学者は、自己と世界とはどのようにつながっているか、様々に記した。

 カントは、目、耳、舌、皮膚、内蔵の感覚が外の世界をとらえる。それを、自己に伝える。自己とは理性的なおのれである。そういうことは書いていた。自己は頭の中に位置する。その時に、『悟性』というのが大事な役割で、私の理解では、視野に映る絵が何を意味するかを判定する機能だった。

 悟性は人みな共通だ。これは、脳科学における、『認識』の機能だと思う。イヌの絵を見て、人は「犬」と認識する。形からそれがなんであるかを区別することができる。文字を見て、それがどういう言葉かを認識する。パターン認識などとされるものだ。

 が、ジム・ホルトには、悟性の観点や感覚についての認識がかなり弱かった。彼の哲学は、「自己」と世界との関係については、かなり遅れた見解にもっていた。

 で、理性=自己とするのは、あっていた。それは現代では、論理的な知能とされる。コンピューターと人間の共通点がある。

 ここからは私の認識。

 目や耳、舌、皮膚自体が、自己の一部か否か?
 こう考えてみよう。目が見えない人、耳が聞こえない人もいる。彼らは自己がある。自律的に行動できる。よって、感覚器官は、自己の本質的な部分ではない。その構成要素の一つとはいえるだろう。感覚をもたなくては、外の世界とのつながりがなくなる。

 感覚によって、人は自己の世界における位置や、状態を知ることができる。

 例えば、夢の中で、人は自分は夢の中にいる、と認識する人もいる。が、それができない人は、その夢のシーンの中に、自分はいると思ってしまう。肉体・頭のある場所と、自己の位置が一致しない時もある。

 感覚した場所、目で視えた景色。人は、そこに自分がいると思いこんでいる。

 彼にはこうした視点が欠如しているから、「自己」が何によって構成されているか。自己はどうして世界と関係をもてるか。そこはこの本ではわかりづらい。


 追記--ついでに書いたが、お蔵入りしそうなので、残す。

 内的な感覚--直感、内蔵の感覚なども、自己(理性)にとっては、外部とのつながるものだ。感情も同じだ。感情は、動物に付随するものだ。感情がほとんどない人間もいるが、彼らにも自己はある。

 というわけで、自己とは何かをつきとめて、感覚を取り除くと、最後に残るのは、理性的な自己である。自己とは、理性的なものだ。

 で、次に、理性から悟性を取り除く。悟性とは、映像から意味を識別する能力だ。悟性とは感覚に意味づけする機能だ。文字が読めない症状の人は、ある面で悟性の能力がかなり弱い。が、自己は保っている。悟性も、自己の本質的な部分ではない。

 このようにすると、自己には、悟性(映像や音に意味を見出す才能)が必須とはいえないだろう。全くなくなると、困るだろう。が、それでも必ず、悟性が完璧似なければ、いけないものでもない。

 このようにして、「自己」とは何を限定することができる。

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2017年06月18日

『世界はなぜ「ある」のか?』(ジム・ホルト、早川書房)の感想 その4 彼は、『規律』を考察できない。

『世界はなぜ「ある」のか?』(ジム・ホルト、早川書房)の感想 その4 彼は、『規律』を考察できない。

 私が感じたことをざっと記す。
 彼は『規律』への理解が乏しい。彼がどう書いたか。私は覚えてない。哲学では、大事なことしか、私は覚えない性質なので。

 規律とは、例えば感染症対策だ。医学が普及した先進国では現在、大方の感染症は抑え込める。これは疾病予防において、規律があるといえる。

 この医学における規律は、医学が一定のレベルで、病原菌を特定して、それを拡散しないように押さえ込む技量があり、それを社会が行うから保たれる。後進国には十分にできない。

 規律とは、一定の能力を社会がもち、それを実施して、社会秩序を混乱から正し、保つことといえる。

 彼は宇宙において、規律があがってゆくことを考える学者と対談した。
 つまり、それは、宇宙において、宇宙がある能力を持ち、混乱をしだいになくし、秩序を高めてゆくことをさす。が、これを彼は、道徳的・倫理的なんとかと言って、深く考えることをしなかったと私は記憶する。

 宇宙は年月を重ねるほどに、知的生命体が高度になり、一定の秩序は生じて、それはしだいに高まるだろう。宇宙の規律はあがる。

 宇宙を規律という面でみるのは、非科学的ではない。が、彼は倫理・道徳の話と扱った。彼は、視野が狭いようだ。もしくは彼が特異ではなく、西洋哲学において、『規律』に関する理解が乏しいか、どちらかだ。
posted by たすく at 21:59| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする