2017年02月10日

 高い精神の世界 高校時代の末期 --理性を探して、宗教をのぞきこむ


 高い精神の世界 高校時代の末期 --理性を探して、宗教をのぞきこむ

大学に入った私は、経済学部で学ぶことになっていた。そうそう、高校生活末期のことを話そう。

ヘーゲルで理性の高みをみつけた。それ以後の哲学は、さっぱしない。そんな時に、社会論に強くひかれない。近代から現代の思想を流れの中から探す。しだいに、宗教の書物も読む。

優れた理性は、どこにある? 高校時代の関心は、『最高の理性』を見つけ出すことだ。現代思想には、合理的な体系は見いだせない。そこで、真理があると思われる宗教にも手を出す。

神が示す真理。そこには人間が書けなかった真理、理性がみつかるだろうか? 調べる気になる。なにしろ、まだ完全な理性を手に入れてないのだから。ヘーゲルは、理性の形式を明らかにした。が、中身自体は、示してない。

そういうわけで、宗教の書も一通り調べることになる。そこで、真理に近いものが羅列したものがみつかると運が良い。聖書は眼中にない。法則や理性が明確に書かれてないから、学びようがないからだ。

これまで築き上げた『理性的なもの』。それが最もたくさん描かれてる宗教書に興味をもつだろう。少しでも嘘がある、と見破ったら、それはすぐに廃棄処分となる。マルクスを捨てたように、キルケゴールに意味を見出さなかったように、フロイトの未完成さにあきれたように。構造主義のわかりにくさに辟易したように(真理を正しく書いてないとこうなる)。

まだこの時、社会論には興味がない。
posted by たすく at 21:46| Comment(0) | 高い精神の世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする