2017年04月10日

全員が完璧で、完全無欠で、能力が最高である。そんな社会はつまらないのか? いやむしろ、最高に楽しいのではないか?

 全員が完璧で、完全無欠で、能力が最高である。そんな社会はつまらないのか?

 日本人はよく、不完全であることを自慢のネタにする。「人間は弱いから、楽しいんだよ。」、「弱点がある人ほど、人間らしい。」。無能なことを自己弁護する。あげくの果てには、「神様のように完全な人間、完璧な人間なんかつまらないね。」と言い出す始末。

これは才能がない者のひがみ。失敗した時、才能あるやつに昇進をとられた時の言い訳である。低能な者が、同列を周辺にはべらせて、慰めあう。そんな向上心がない者たちの自らの立場を正当化しようとする嫌な会話である。

 今日は、最高で完璧な人間は、人間らしくないのか? そんな人間は素晴らしくないのか? またそんな高度な人間たちが集まると、楽しくないのか? を考える。

 まずは才能がある人とない人とを比べる。どちらがつまらないのかを。
 囲碁に最ものめりこむのは、プロや高段者アマだ。低級者ほどに仕事のあいまに軽くやる。アマチュアでもトップは実に囲碁を楽しんでいる。彼らは囲碁ばかりやっていても、飽きない。初心者は負けたりするとすぐに囲碁に飽きてしまう。つまらない、と言って。

 一般的に、才能はある人たちほど、それを愉しむ。才能がない人は、それを楽しめない。

 傍から見て、才能ある人達と才能ない人達。どちらが面白いか。楽しめるか。囲碁の場合は、もちろん才能ある者達の試合だ。ヘボ碁などつまらなくて見れない。トッププロの碁は一見の値打ちがある。つまらないのは、この場合も、才能がない者達だ。そして、一般的には、才能あるほど、それは人々にとっても面白く、エキサイティングなものだ。

 問題は、完璧で完全で神様のような碁打ちの碁は、つまらないかどうかだ。現在、ちょうどトッププロを凌駕する碁打ちが現れた。コンピューターのアルファ碁である。並み居るトップ棋士をばたばたなぎ倒し、30-50連勝した。誰も勝てない。

 まさに完璧で完全なのだ。世間の人はアルファ碁の対局をどう感じているか? プロ棋士にとっては注目の的だ。なにしろ最高の一手が見られる。最も面白い碁だ。

 高度な能力をもつ人の行いは、他者が見ても、価値がある。エキサイティングである。つまらないことはない。

 才能をもつ人自身も、それをすることが面白くて仕方ない。本人も愉しむことができる。一般的に、能力が高い人ほど、それをする喜びが大きくなる。マニアほど熱中するように。

 個人の場合、才能が高いほど、より愉しむ。傍目にも面白くみられる。個人が複数の才能をもつ場合、やはり同じだろう。万能では、全ての活動において、当人は最高度に愉しむことができる。

 一人の完璧者がそんなに愉しむ。そんな偉人が2人になると、やはり状況は同じだろう。彼らも周囲も最高度に楽しめる。で、その完全に近い人々が増えるほどに、愉しみはますだろう。彼らとその社会全体が、楽しいのだ。

 全員が完璧で、完全無欠で、能力な社会では、最高度に喜びがある。社会の構成員はそこに生きることが、つまらないことはまったくない。

 プロ棋士達が集まって、他人の碁をあれこれ論じているのをみると、本当に楽しそうにしている。が、アマチュアで碁を打つのは、プロほどに楽しそうにしてないのだ。

 反論終了。

 で、愚かさ、間違えること、無能なことをウリにしている者たちは、誤った観点から、天才たちを小馬鹿にして、鬱憤を晴らす。だが、それは見当違いだったのだ。しかし、彼らが言いたいのはそれだけではないだろう。
 賢明な人々の群れを単に、茶かしたいのか? 賢い人に嫉妬したのか? それはあるだろう。が、彼らはまたこうもいう。「間違いや失敗をするところが、人間らしくていいんだ。(完璧でないことがよい)」 本当だろうか? それはまたあとで検証しよう。
posted by たすく at 22:01
"全員が完璧で、完全無欠で、能力が最高である。そんな社会はつまらないのか? いやむしろ、最高に楽しいのではないか?"へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: