2017年08月04日

 人生全体の幸福の基準とは何か?

 人生全体の幸福の基準とは何か?

 先に、幸福の要素を明らかにすべきだった。幸福の要件は個別にある。今日、話すのは人生全体の幸福だ。この生を終わらせる時に、その人生が幸福だったのか。不幸だったのか。どのように判定するのか。それをみてみたい。

 私は47才となって、犯罪被害者となって24年で長い。結婚経験なしの独身。貯金なし、家庭なし。実家にこもり、成果が出ない地震予知をする。たまの気分転換は、京都に電車に乗ってゆくくらい。世間の基準からすると、私の人生は不幸すぎる。これまでの人生は、いいことがなかった期間が長い。

 大学卒業後に、結婚したものの離婚する。母子家庭がいやで、男をみつけては、言いよりうまく再婚するが、すぐに夫は別の女を作って逃げられ、離婚する。貧乏に暮らす。こういう人生も不幸に数えられる。

 で、人生の本当の幸福基準とは何か? 考えてみたい。
 今から書くのは、調査で判明したことだ。およそ正しい、と私は信じている。人生全体の幸福の基準は、8つある。1, 人生全体に満足していること 2, 長生きが幸福で短命は不幸 4, 社会貢献、業績をあげた成功者は幸福 5, 子育てがうまくゆくと幸福 6, 自分の周囲の中で、立派とされることをすると幸福 7, 生活水準がよいと幸福 8, いい思い出があること。順に説明しよう。

1, 人生全体に満足していること
 老人となって、人生を振り返ると、いいことと悪いことがあった。それら全体をはかって、本人が人生全般に満足していたら、幸福だ。
 つらいことはある。よいこともある。楽しかった日々も、充実した毎日もある。失敗したこともある。山あり、谷あり。人生いろいろ。でも、本人がその人生に満足したら、幸福なのだ。
 一般の人は、だいたいこれで自分の人生の幸福度合いを判定する。満足するとは、全体的によかったということを意味する。もし、不幸8割の人生なら、俺の人生はすべてよくなかったと、神様を恨んで、恨んで、あの世にゆく。
 人生を恨むなどは、心がすさんだ者で、精神が未熟な者というのは間違いだ。それは人生が悪いのだ。犯罪者として人生を歩み、つらく厳しい中で生きて、満足できるはずがない。弾圧を受けて、楽しいことがほとんどない人もいる。幸福とは、精神の習熟度ではない。人生の良し悪しなのだから。

 2, 長生きが幸福で短命は不幸 
 長生きすると、たいてい自分の人生を肯定的に評価するものだ。が、十歳で亡くなったりすると、不幸にみえる。虐待死とか、悲しい子供だ。短命はよき人生とは思われない。よって、不幸となる。長生きしただけで、幸福の部類に入るのが多い。
 だが、あまり長く生きても、幸福とは思われない。100才以上の高齢を生きる喜びを人々は知らない。体も弱り、不幸の期間ではないかと思われている。実際は、不幸ではない。

 4, 社会貢献、業績をあげた成功者は幸福
 社会的成功者は、社会貢献している。多くの業績を残す。多くの人は、自分の活動に満足して、幸福になれる。なにしろ、人間の中で人よりも、仕事をしたのだから。自分のしごとを誇れる。男は、この価値観が強い。

 5, 子育てがうまくゆくと幸福
 社会で働けなかった女性は、子育ての責務がある。子供をたくさん大人まで育て、しかも子供が大人物になったら、母親は立派だ。母親は自分に誇りをもてる。貧乏でも、金持ちでも、子供をうまく育てた母親は幸福だ。これも社会貢献をした満足感からくる。

 6, 自分の周囲のグループ中で、立派とされることをすると幸福
 歴史的な活躍をしなくても、会社の中でよく仕事をしたり、尊敬されたりする。間違った共産イデオロギーの信奉者で、歴史的には悪だが、全共闘はそんな反政府活動を誇っていたりする。そういうものたちも、価値観が倒錯しているために、自分の活動に満足感を覚え、死ぬ前に、幸福な気分になる。
 趣味の会、地域の友達の間だけでステイタスが高かったりする。そんな小さな優越だけでも、幸福になれる。逆に、学級・親戚、地域社会で、虐げられたり、低い地位で、軽く扱われると、幸福な気にはならない。

 7, 生活水準がよいと幸福
 富豪、豊かな者、富裕層は金があって、好きなものを手に入れ、幸福だと思われている。実際、幸福である。金が十分あって、生活に不自由しなかった人生を送った人は、幸福である。が、いつも金がなく、好きなことも何もしないで、お金を稼ぐこと、節約することにあけくれ、何もほしいものを買えなかった期間が長いほど不満が多く、不幸だ。

 8, いい思い出があること
 人生を振り返る時、いい思い出と不幸の思い出があること。それで、幸福度が決まる。たとえ、いやな夫と結婚生活をつづける忍耐の期間が長くても、それなりにいい思い出があると、それに慰められる。不幸一辺倒の人生とは思わなくなる。
 私のように子供時代のはじめまで幸福で、あとは、地獄のようなのは、どうしようもなく、不幸な記憶しかない。たいていの人は、10以上の幸福の思い出があるだろう。

 以上、これら人生体験の総量で、人生の幸福が決まる。あなたの人生は、幸福だったろうか?

 しかし、これは世俗的なものの見方だということを忘れてはいけない。
 預言者は、過酷な人生を歩む。が、幸福な者とされる。世の中、もっと一般的な基準があることは、忘れてはいけない。本人が自己満足しようがしまいが、絶対的な値で、人生のよしあしを決める方法もある。

庶民は、ほどほどに幸福だったとしよう。いや、不幸だったとしてもかまわない。が、その絶対的な価値で測ると、ある者はとてつもなく幸福だとわかるのだ。今日、それは説明しない。

が、簡単にいう。あの世の人生が何億、何兆年と続く。その間に幸福を手にする量は、人によってとても大きく、またある者はとても小さい。人それぞれだ。それは、このわずかな人生の間、その生き方、習得したもので決まる。

 それを最大にする資質を身に着けた者こそが、最大の幸福者なのだ。それを最小にする者は、不幸なのだ。この人生の間の幸福だったとしても、不幸だったとしても、それはあまり関係がない。

 が、たいていの人は、自分の人生が幸福だったら、それで十分だろう。絶対的な基準を理解するまで、不満などあろうはずがない。

posted by たすく at 21:36| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月27日

『80年近く飲まず食わず インド苦行者 医師らを仰天させる』← 体力ないし、あまりよいものではない

今日は、素敵な記事から一つ

『80年近く飲まず食わず インド苦行者 医師らを仰天させる』(大紀元)
 

 日本では断食して、僧侶が瞑想して、悟りを得るのは、何か素晴らしいことだと思われている。食べないとは、殺生をしないこと。もしくは食欲を克服することだ。戒律を守っている。何か超人的な力を身につけたと、思ってしまう。

 本当に飲まず食わずの人間がいたら… 確かに食べないでも生きられるのは、すごいだろう。省エネだろう。しかし、彼を見たら、なんら崇高さを感じない。

 食べないということは、日々、栄養失調なのだ。水分不足だ。ほぼ脱水症だ。これでは、スポーツはできない。激しい運動もできない。糖分をとってないから、頭もそんなに働かないだろう。記憶もよくならない。飲まず食わずでは、体力もなく、健康体とはほど遠い。やせ細り、筋肉はなく、理想の体格からはほど遠い。

 人間の理想は、万能で、あらゆる学問を修め、さらにスポーツ万能であることだ。更に人類を統治する才能をもつことだ。それなくてはリーダーシップは無能だ。

 このインドの苦行者、ヒンズーの一派のようにもみえる。彼が本当に、無飲無食をやってくれたおかげで、いろいろなことがわかった。そんなことは、理想でもなんでもないと。現代では、ダメ人間に近いほうになってしまう、と。

 彼が学識豊かで、精神的であれば、また見直すのだが、いかんせん体力がなくては、人の世話になることしかできないではないか。飲まず食わずがもし本当だとしても、体にも精神にもよいものではない。

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2017年07月15日

人生のうち、神は仕事を、守護霊は人間関係と性格を決めた。

人生のうち、神は仕事を、守護霊は人間関係と性格を決めた。

 一般的に、地球の制度に影響するものは、神が全体的に決める。そうでない、どうでもよいようなものは守護霊が決めている。これが私の現在の考えだ。

 神が決めるのは地球全体の計画だ。産業や思想、文化全般を管理する。つまり、人にとって、それは仕事だ。そのために職場と、住む場所も同時に決まる。仕事は細かく設計されて、そのための教育も受ける。高等学校と就職先は、大方、決まる。こういうのが、神の計画となる。本人の職業上の能力とそれをなすだけの才覚、社会問題に対する感受性は、神が決める。およその寿命も年齢で引退しない人は、神が決める。

 趣味が仕事の域に達しないのは、神がそれを仕事としてはいけないと決めたからだ。それで才能が止められる。それは本人がどうすることもできない。


 では、守護霊はあなたの人生の何を決めるか?
 どんな相手といつ結婚するか? 恋愛はどうするか。友達は誰にするか。などなど人間関係のことは守護霊が決める。
 ふつうの人は結婚相手や友人に恵まれないとしても、それは守護霊の都合や好みで決まったものであり、神を呪うのはお門違いだ。

 本人の精神の細かいところは、守護霊に委ねられる。本人の性格が悪いのも、それは神のせいではなく、守護霊の弱さが原因だ。

 あなたの体調が優れないのも、それは医学に貢献するものではなく、また仕事と身体の弱さが無関係なら、それは神が決めたものではない。守護霊のカルマに由来する。

 このようなものを、守護霊が決る。

 人生がうまくゆかない時、守護霊か神かどちらを呪うべきか? これでみえてきたのではなかろうか。
 もちろん、人生がうまくいった時は、神か守護霊かどちらに感謝すべきかもわかったろう。愛情に恵まれていたら、守護霊に。仕事がうまくいったら神に感謝である。

posted by たすく at 21:32| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする