2017年05月09日

異性の親友のみつけ方 -- 仮面をかぶっている相手は、その時がくるまで見つけ出せない

 異性友達の話

 将来、友達になる異性。私は、誰と友達になるかを詳しく話す。

 私は自分の未来を透視やテレビ予知で知る。それで、誰と仲良くなるか。見つけ出せる。私は好きさと加減と、自分が好きな女性のタイプを追求することで、結婚相手を1回で見分けた。自分の相性がよい女性は、見抜ける自信があった。

 仮面をかぶっている友達
 が、この人生で特に親しくなる2女性だけは、不思議なことに、顔を見てもわからなかった。

 1人は有名な女性。テレビでよくみかける。何度みても、声が甲高くて、姿が派手で、私の手に負えない。私はうまく合わせられない、と思っていた。言葉使いは、いいものはもっているとは思う。それも、相性がよいという感じではない。

が、透視でなんと相性のよさは、人生の上位で3-4番め。私が今まで最も相性よく、わかりあえると思っていた幼馴染は、相性が6番め。それより気が合う。驚いた。いまだ彼女と気が合うことが、わからない。

 もう1人は、テレビ予知で知った女性で私の人生に現れる女性。音楽友。気が強くて、親友になるはず。彼女はネットでみつけられる。が、顔を見てわからなかった。言葉から物の見方は、私と似ているから、合うのだろう、とは推測がつく。顔見て、相性がわからない。これが私にはショックだった。

 ポイント--その時がくるまでは仮面をかぶっている異性は、今はみつけられない。なんらか自分は相手のことを誤解して、思い込んでいる。そんな中に、親友がいる。

 応用--仮面をかぶっている女性は、いずれ親しくなるはず

 もう1-2人変なのがいる。彼女は知り合いだ。が、最近、彼女は明らかに顔が落ちた。時々、顔が崩れては、元に戻るのは大勢いる。崩れるとは、私が気にいる顔ではない、というだけのこと。そっぽを向いている気がする。が、彼女はそのまま戻らない。といっても、相性の順位は、5番目。もう会えないと思っていた。が、私の前では仮面をかぶっている(私が見向きもしない顔つきになっている)から、いずれ出会うだろうと思い始めた。

 仮面をかぶっている異性友達は、本人のふつうの異性観で、どんなに探しても見つけ出せない。こういうときは、透視家に聞き出すしかない。もしくは、その時がきて、ベールがとれて、気づくまでは、親しくなれない。
posted by たすく at 22:29| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月25日

念力は手品、常識だよ。

 念力は手品、常識だよ。

 超能力にはいろんな迷信がある。人間が明確に知らない。その隙(知識の欠如)を突いて、嘘が出回る。本当に困ったことだ。

 念力は私ができないし、念動はやっている人が中国人で怪しい。超能力で物品を何もない所から出すのはインドや東南アジアにあるが、手品で、インチキだ。

 スプーンまげもトリックがあり、念力や超能力というのはどうかと思う。念力をまじめに語るのは疑ってかかろう。人間のする念力(念動のこと)はすべてトリックがある。念力を超能力として、とりあげるのは、正しくない。

そんなこんなで、念力は超能力ではなく、手品、トリックだ。常識だよ。神様がこんな初歩的なことを間違えるはずがないよ。
posted by たすく at 22:53| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月18日

相性のよい人とは 具体的に

 相性のよい人とは

 私の友人をもとに、相性とは何かを考える。

 まずは、近所にいた女性の幼馴染。気が強くて、男にも果敢に立ち向かい(私はあまりみてないが)?、悪いことは基本的にしない。あっさりした性格。私とどこが似ているのかわからないのだが、気は合った。信じ合える人である。元気であることが一番ということが私と同じだ。

 次に小学生の男の親友。彼は活発で、活動的だ。何かと遊んでいる。いろんなことをやっている。頭も悪くはなかった。親友である。サッカーなど好きな遊びが似ていた。ちょうど社交的な度合い、遊び好きなところが同じ程度だった。あと、大阪は天王寺が最も強い人がいてなど、枚方に暮らす者としての社会観が似ていた。あまり政治などは興味なくて。

 高校では、小学校の同級生から、お前に似たのがいると紹介された別の高校の男子が友達。囲碁をしていたし、温厚で、優しくもあり、似ていたかもしれない。今は、たまに会っても、あまり話すことがない。

 大学では、へんな兄さんをみつけたのだ。私よりも顔はよく、いい笑顔だ。なかなかタフなので、いろいろ出かけた。が、残念ながら、何を話したのか覚えてない。タイプは違うのである。私は学者肌で、彼は事業家タイプなのだ。彼は私の扱いに長けていた。私も彼のやりそうなことはだいたいわかった。わかるというのは大切である。わからない(私がこりゃだめだな、と思うような)ことばかりするのとは、つきあう気がしない。

 大学では、会わなかったが、私と発想が似た女性はみかけた。哲学が私に近い。理性的で、正しくあり、なおかつ強いこと。弱さなど気にも留めない。彼女は遠くにいた。向こうは私が同類と知っていたが、相手をする気はなかったようだ。が、年をとると、いつまでもそんな片意地張っていたら、友人ができないと気付きはじめたようで、私に関心があるような噂をきく。

 最後、これから出会う女性。私の擬態に最近まで気づかなくて、私を遠ざけていたが、それでは幸福を逃すと決意したようで、私に寄付をくれることから私に近づく。彼女は私にとって生まれてから、ずっと好きなタイプで、ショートカットが似合う利発でスポーティーな女性のはずである。主婦歴が長く、その時、本来の性格はかなり潜めたかもしれない。が、通じるところがある。

 彼女の友人と親戚は、私と彼女はよく似ている、という。理に聡く、自分をもっていて、はちゃめちゃなのだ。好き勝手にしていても、うまく物事が運ぶというところが。生き方のスタイルとして、上質なところも。

 性格の一致、気が合うことが、相性のよさである。相性がよい者を、親友と呼ぶ。これは、ジャンルごとにたくさんいる。それぞれに共通点は異なる。その話はまたあとで。
posted by たすく at 20:45| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする