2019年07月14日

瞑想の科学 段階5 理性 空を体験する

 段階4では運動を意識して、体の動かすことを学んだ。すべては運動するという思想の段階だ。段階5では。その一連の運動を一つの認識でとらえることができる。運動の法則などを意識する。
 
 さて、段階4(運動)や段階5(理性)は、瞑想で心の奥深く進むと、ゆきつくところだ。ここではカリュキュラムで、『見えない機械』を使って、脳を操作してそれを体験できる。が、一般の瞑想家はどうやって、そこに到達したらよいだろうか?
 
 私の段階は、仏教の五蘊では、こう対比できる。
 
段階1 内的感覚(生理的欲求) - 色蘊と受蘊の生理的欲求 4-6歳
段階2 感覚(五感) - 受蘊の生理的欲求よりあと 7-9歳
段階3 悟性(知性) - 想蘊 10-12歳
段階4 運動 - 行蘊 13-15歳
段階5 理性(論理思考) - 識蘊 16-18歳
 
瞑想で五蘊を会得した者は、それぞれの段階に瞑想でゆくとよい。我流で瞑想をして、五蘊などわからない者は、発達心理で同じものを体験する年齢(もっとも少ない年)を思い浮かべる。その年齢の記憶の光景から上に瞑想であがると、そこにゆきつく。もしくはその年齢の精神に、瞑想で完全になりきる、とその段階にゆけるだろう。もしくは、瞑想でその年令の記憶がある段階に、意識をおくとよい。すると、その段階を体験できる。いろいろある。その年令の気分が最も感じられるものを探そう。
 
 では、段階5の理性を説明する。この段階に入るとまず『空』を体験できる。感覚、知性、運動から離れた自己を見いだせる。その状態に慣れてから、瞑想をいったん離れて、目を開けること。止まっているものに関心が向かないことがすぐにわかるはずだ。感覚にも、とらわれない。自分の欲求にもひきずられない。まさに空の境地だ。
 
 動くものは、よくみえるだろう。どのように動いているか、よく観察しよう。この段階では、運動を瞬時に見極められる。そこに気づくことが大切だ。運動の法則を理解できる段階である。合理的なものしか、受け入れられなくなる。ここをマスターすると、普遍的な法則を理解して、科学的な思考が真実だと実感できる。
 
段階5 理性 法則の獲得
 
前半 
1, 空、運動の簡単な法則
2, 生態の法則か
3, 人体の臓器の法則か
4, 社会 国家の法則
5, 自然の法則
 
後半
1, 運動の理解
2, 複雑な機構を作る
3, 生物をいじくる
4, 社会、国家を考える(人権や制度)
5, 自然への関心
 
上のものは、はっきりしたものではない。が、およそこうだ。あらゆるものを合理的、理論的にとらえようとする。不合理なものを嫌う。
 
後半、我々の世界をできるだけ合理的にしようとする。特に、言論をそうしたがる。社会にあふれる考えた(思想)、習慣、制度。それらが不合理であることに違和感を強くもつ。それらを合理的なものにしようとする意欲が強くなる。そして、正しい知恵を身に着けようと思う。
 
 この段階の世界観は、西洋哲学のデカルトやカント、ヘーゲルの生きた時代の人々のそれと同じだ。理性的に、理論的に、科学的に物事をとらえようとする。また知恵を得て、自らを最高の人格にすることを目指す。自らを神に近づけようとする。
 
カリュキュラム
 『菩薩の世界を体感させてください。お兄さん。****(段階名か境地)を感じさせてください。』と願うこと。見えない機械で、脳が操作され、その段階にゆき、体験できる。なお、その段階に到達してない人は、簡易に体験できる。
 
 『空』についてはまた述べる。簡単に、それはブッダなどがとおりすぎた初期の瞑想の段階である。その段階を体験しなかったものが、ブッダの言葉や他の瞑想者の言葉などから様々な見解を発表した。それら観念的なものは、その段階を二次的に言ったものでしかない。象について、盲者が様々に触った感触など言える。が、象そのものを見て、述べたものにかなわない。
 
空は大乗では一部、混乱しているが、実はもっとシンプルである。

 以上、段階5(理性)の説明である。
posted by たすく at 12:06| Comment(0) | 瞑想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月11日

瞑想の科学 段階4 運動

 段階3では、感覚したものが何か。それを識別することをマスターした。ぼんやりみていたら、ただの景色。景色の中に、人、森、動物などがいることを見分けるのが段階4のテーマだ。ぼーっと聞いていたら、ただの音。そこから会話。言葉の意味を知ること。それが課題だった。世界を知った。

 これから段階4(運動)をみてゆく。まずは細かい段階を示す。前半と後半がある。それぞれ5段階ある。
 
段階4 運動 成所作智の境地
 
前半
1, 手 - 手が動くことを感じる、肩、ひじ、指が動く。
2, 足 - 以下 同様、運動についての価値観も得られるが、それは研究中。
3, 首 -
4, 胴 -
5, 腰 -
 
後半
1, 手 - 手を動かす。肩、ひじ、指を動かす。
2, 足 - 以下同様
3, 首
4, 胴
5, 腰
 
 段階4では、運動を習得する。それは13-15歳の発達心理上のテーマと一致する。前半は、手や足、胴体などの動かすこと。その運動の感覚などを感じる。後半では、運動を実践することを感じる。

 前半は運動についての知見を得る。左右前後に動かす。力の入れ具合。動かす順序。手、足の可動範囲など。さらには行動の規則なども学ぶ。力の世界観をもつ。この段階の中学生は、あまり運動に熱心ではないが、力の方向性、力の強さ、規則、(行動)マニュアルなどに興味をもつ。

  後半では、実際に体を動かすことに満足を得る。しだいに複雑な運動をする。この段階の中学生は実際に運動することに強い喜びを覚える。力が強いことに憧れる。粗暴な力にも憧れるが、しだいに正しく力を使うことがよいと悟る。正しく動くと強い力を生み出すことも知る。正しさと力の強さが一致する。物事を行動で解決しようとする。

 反抗期となるのは、理由がある。前半の初期の段階1では、従来の『悟性』の考え方の問題点を自覚して、それを取り除いて、新しく力の論理を獲得しなくてはならない。行動的に行うためではないかと思う。内面的にやるならば反抗にならない。が、自ら動いて、確かめるために、反抗の行動にみえる。これは推測だ。ここはまた正確に言うつもりだ。

 この段階の境地は、成所作智だ。その世界観では、視野にうつるもので、運動するものが気が付きやすくなる。前の段階では、停止したものを区別した。段階4の運動では、止まっているものは捨象して、動くものをとらえることに関心が向く。時間の流れを新しく認知の要素に加えている。

 この段階の価値観をもつ人は、5-20%いる。行動の知識をもつ。マニュアルや規則を作ることが上手だ。またシステムエンジニア(PC動作をコントロールするので動作のマニュアル)になってねまったく苦にならない人は、この段階の人が多い。

 この段階の思想は、あらゆる外部の運動に関心がゆく。この段階の精神(価値観、世界観)とは、ニコル・オレームのような14世紀の学者のような態度である。万物は運動する。流転するという思想でもある。が、一つずつの運動もとらえられるので、細かくなる。この段階に到達した人の精神は関心が広い。この段階の精神をマスターすると、世界を躍動的にとらえられる。

 この段階の精神の人は、天国で6次元(神界)にあがる。瞑想で到達しても、あがれるわけではない。発達心理のテーマをこの段階まで、青少年の間に順調に駆け上がって、段階のテーマの答えを見出した者だけが、精神的にはこの段階に進む。瞑想では、簡単に駅を通過するように、この段階にふれる。そのため、瞑想でこの段階に感じられても、この段階の精神になれるわけではない。飛行機で急いで外国に立ち寄ったようなものだ。その国の思想を完璧に覚えたわけではない。
 
 カリュキュラム
『パパの偉大な力によって、-----(段階の名)を体感させてください。』と思うと体験できる。なお、この段階は、運動に関心が向く。実際に、対象となる手や足などを動かすこと。目を開けて、外の物の動きをとらえること。目をつぶっていては、この段階のテーマを何も察知することはできない。透視でくっきり見える人は、目をつぶってもかまわない。できれば、目を開いて、関心や興味がどこに向かうか。何に感じやすいかを調べてほしい。たいていの人は目をつぶってこの段階にきても、何もわからない。

以上
posted by たすく at 11:23| Comment(0) | 瞑想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月10日

瞑想の科学 段階3 悟性・認知

 これまで段階2(感覚)を見てきた。段階2で5感の感じ方、使い方を習得できる。さて、段階3(認知)とは何にだろう。それは、視野に何が映っているかをみわけることだ。ぼーっとみていたら、ただの景色。が、頭を使うと、そこに木があり、家があり、車が走る。それに気づくことである。感覚した『データ』が何なのか。見たもの、聞いたもの、かいだ匂いは何かを知ること、名をつけること。それが段階3の課題だ。

 感覚したものを『定義する』段階でもある。AIが、何らかの写真から、猫を区別するようになることだ。パターンを学習することでもある。これは、時間が止まった中で行われる認知だ。この段階では、動くものをとらえることはメインではない。
 
 瞑想で留意すること。自分の課題、社会や家族、学校、人間関係のいざこざなどは、表面的なことだ。心を静め奥深くに入ると、瞑想で感じられる心の空間にゆきつく。それが、瞑想の段階である。覚醒も、曼荼羅を見るのも、この段階である。
 
 段階3(認知)は感覚したものの意味を識別することだ。見たもの、聞いた音、かいだ臭いが何かを区別することだ。

 これは10-12歳の発達心理の課題だ。10歳頃に、この段階の精神を宿す。この段階で精神の成長が止まるとそれ以降、基礎的な価値観・信条がかわらない。そのため、この段階の精神の人は10歳頃の価値観のまま大人になり一生を過ごす。5-7割近くいる。彼らは快楽志向ではなく、知的だ。『定義する』ことを好む。自分の判断は主観だと思う。多くは小難しいことを好む。が、理論を駆使する頭はない。
 
 この段階の精神は、方丈記など平安時代とは違い、何か知的な趣がある考え方に近い。平安時代は自然を感じることが讃えられたが、この段階では、知的に何かを語ることがよいとされる。自然を語ることが大事なのではなく、何か知識を得ることを好む。
 
 『妙観察智』はこの段階の境地だ。物事を観察して、知識を得ること。仏教の五蘊では、『想蘊』にあたる。この段階の完成は視覚、聴覚、臭覚などを概念にして統一することだ。『全て』という概念を得ることである。
 
この段階は前半と後半が各々5段階ある。前半は、認知の理論。後半は、実践である。
 
段階3 悟性(物事の認知)

前半
1, 視覚 -- 見ているものが何かを区別する。
2, 聴覚 -- 聞いた音が何かを区別する。言葉、音楽など
3, 嗅覚 -- 匂いに名をつける。何の匂いか嗅ぎ分けること
4, 味覚 -- 味を区別すること。甘い、辛い、苦い、おいしい、まずい、食べられるもの
5, 触覚 -- 痛さ、熱さ、冷たさ、圧、ぬれ、乾き、ねっとり、触るなど
 
後半
1, 視覚 -- 見方。近くからみる、場所を変えてみる。遠くからみる。
2, 聴覚 -- 音。近づいてみる、方角を聞き分ける。首を回す。
3, 嗅覚 -- 臭い。力強く吸う。弱く吸う。近づいて吸う。
4, 味覚 -- 毒、よく味わう。軽い舌の上にのせる。
5, 触覚 -- 触る。一瞬さわる。長く触る、手にふれる。頭が熱いなど。
 
瞑想して、この段階の特徴をよく知ろう。そして、この段階の精神の人はたくさんいるので、彼らの視点を学ぼう。
 
さて、精神の信条はどこで止まるか?
 人間はおよそ生理的欲求、感覚、悟性、運動、理性、社会、空間、二次元と8種の信条をもつ。快楽主義者、知的なものを好む物、運動をとらえることが上手なもの、全ては法則だと理解する物、社会的な動きを好むもの、空間の感覚を見極めるものなどだ。彼らは、それぞれの段階の初期で発達心理のテーマをこなせなくなり、そこで精神を止める。すると、その段階の精神に固定される。それが、人の精神の信条や価値観となる。

 この詳しい理論はまた記そう。今回、いったいいつ止まったか。それを明らかにする。透視では、その段階に入ってから、14日と少しである。それぞれの段階をこなすのに365×3日かかる。1195日かかる。これを10段階に分ける。すると、1段階は120日寂。だが、新しい段階に入ってから、わずか14日と少し、精神の成長を止める。すると、それぞれの段階に精神となる。
 
カリュキュラム
この段階の好きなところにゆける。それぞれを感じよう。瞑想の段階がここより上の人は、それを直に感じられる。ここ到達した段階がここより下の人は、一時的に体験できるだろう。
 
『世界のお兄さん、段階"****"を教えてください。』と思うと、感じられる。
 
目をつぶってするよりも、外を歩きながら、世界を感じながら瞑想を行ったほうが、より多くの知見を得られるだろう。なにしろ、この段階は感覚を知識に変えることが課題だ。目をつぶっていていは、何も感じられないから、知識にすることもあまりない。この段階の課題をこなせないのだ。本当に、自分の感覚を言葉にする段階かを、そのようにして、感じながら調べよう。

以上だ。
posted by たすく at 11:01| Comment(0) | 瞑想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする